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2211/(金)

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特別企画 伊那谷森の座談会
農と食のあり方を考える 【下】
-団塊世代の大量退職時代を前にして-

出席者
●伊那食品工業(株)会長
塚越寛さん
●産直市場グリーンファーム代表
小林史麿さん
●長野県農政部長
田山重晴さん
●上伊那地方事務所長
牛越徹さん
司会 毛賀沢明宏

特別企画 伊那谷森の座談会<br>農と食のあり方を考える 【下】<br>-団塊世代の大量退職時代を前にして-

 人々の「食と農」に対する関心のあり方が変りつつある中で、これまでの農業政策を振り返り、時代のニーズに見合った農業、特に地域農業のあり方を探ることが重要になっていている。
 今回は、伝統的な食文化を現代的に発展させた食品製造業の立場、新たな農産物の流通形態を切り拓いた産直市場の立場、さらに県の視点から農業政策を遂行する立場の皆さんに集まっていただき、「農と食のあり方」をめぐって、自由に議論を交わしていただいた。その連載2回目。

農業も大量生産・大量消費の時代の終わりを迎えた

特別企画 伊那谷森の座談会<br>農と食のあり方を考える 【下】<br>-団塊世代の大量退職時代を前にして-

司会 今まで(前号参照)論じられてきたような消費者サイドからの「農と食」への関心の高まりが、今後は、農業やその関連産業のあり方そのものにまで影響を与えるのではないかと推測されますが、それを見越した場合に、特に地域の農業振興策策ではどのようなことが問題になるでしょうか?
塚越 戦後に日本の農業政策の基本は、やはり量産にあったと思うのですよ。そこに大きなメスを入れる必要がある。量産というのはやはり占領下から続くアメリカ式の発想に基づく政策でしょ。日本に存在する程度の農地で量産といっても無理があるように感じますが、米を機軸に量産量産とやってきた。大量販売・大量消費の発想ですよね。そういう生産はもう行き詰まっていて、農産物でも特色のない物を量をいっぱい作るよりも、売り方を工夫するべき時代になって来ているのではないでしょうか?
田山 日本の食のアメリカ化は、戦後の食糧難の時代に全国に広がった「キッチンカー」に、その本質を求めることができます。その背後にはやはり、日本をアメリカの小麦と肉の消費地に仕立て上げるという戦略があったといえるでしょうね。
塚越 アメリカのように国土が広いところで、大きな農業経営をやっているやり方を日本に移そうとしてもうまく行くわけがなかった。大規模農業経営を目指して八郎潟の開拓をやられたけど、あれは今どうなっているのかな?
 こんなことをいうと怒られるかもしれないが、私は、日本の国際競争力は弱くなったって良いと、じつは思っているんです。国際競争力が弱くなれば円安になって、外国産の農作物とか木材とか高くなって買いにくくなる。そうすれば、日本の農林業の産物の販路が広がり、農家だってやりがいが出て食料自給率は上がるだろうし、木材、山の整備の問題も解決策が見えてくるはずだ。
田山 日本は今、分水嶺にいますよね。人口がいよいよ減り始める。人口が増える中で食料をどうするかと考えてきたが、いよいよ減っていく中でどうするかを考えなければならなくなっている。もっとも、本当は高度経済成長政策が行き詰まった時点ぐらいから人口の頭打ちは推測できたのだから、考えを変えなければいけなかったんでしょうけれどね。
小林 先ほど団塊の世代の話が出たが、いまちょうど定年年齢を迎える人々の中に、農業をやりたいという人が増えています。産直市場グリーンファームに農産物を出荷している生産者の中にも、定年までは都会で会社勤めをしていたが、定年で戻ってきて、みようみまねで農業を始めたが、それで出来た物を売ってもかまわないか-と言ってたずねて来る人は年々多くなっているように思いますよ。
田山 そういう人はね、農業が楽しくて楽しくて仕方ないとおっしゃるんだ。話を聞いていると私も、定年を迎えたら農業をしようかと思ってしまうほどですよ。
塚越 やはりね、意欲のある農業青年や、今言われたようなリタイア組みの意欲ある農家に、少量でも良いから、品質のよい、かつ特色ある作物を作ってもらう。国だって、大量生産的発想を止めて、そういうところにそろそろシフトするべきだと思いますよ。
牛越 私は大量生産方式と、特色ある少量生産とは2本立てでいくべきだと思います。大都市に米や野菜を供給することを考えると、ある程度の規模で、効率の良い農業生産を進める必要がある。それも安全面に大いに注意を払って、一定程度の規模のブランド化をめざさないといけないと思うんです。
 もう一方で、それとは区別して、地域の特定のエリアの中で地場の農業生産物を、地産地消で消費するサイクルを作る。そこの領域でリタイア組の皆さんを含めた創意工夫が発揮されていくようになればよいのではないかと思うのです。

農産物流通方式の現代的変革が必要

特別企画 伊那谷森の座談会<br>農と食のあり方を考える 【下】<br>-団塊世代の大量退職時代を前にして-

塚越 そうなればいいのだけれど……。私は農産物の流通システムにはあまり詳しくないが、都会向けにせよ、地場での消費にせよ、これまでのシステムでうまく行くのでしょうか?
田山 三郷村にお住まいのあるリンゴ農家の方はですね、本来1・2ヘクタールで食べられる農業にしなければいけないという。この方の現在の規模は10ヘクタールなんですがね。「長野県のリンゴ」、つまり県内で最も商品力のある農産物を作っていても、従来の流通ルートでは1・2ヘクタールで食べることは大変難しいとおっしゃる。ところが、八千穂村の出身の方で、埼玉県で有名な(株)サイホクの笹崎会長が経営されている産直市場では、1・5ヘクタールの規模で年間1000万円以上売り上げている農家がおられると言います。こういうのを見るとですね、従来の大産地を中心にした大量生産・大量供給というシステムの外に、もうひとつの市場が生まれているように思います。
塚越 今までの流通が全部が全部ダメとは言わないですよ。それはそれで社会に貢献してきたこともあるはずだ。ただ、私の知るところでは、農産物の流通マージンは現在小売価格の約6割ほどになるという。それでよいのでしょうか?
牛越 製造業の場合には流通マージンは小売価格のおおよそ4割といわれますよね。農業生産物の方が流通マージンの比率が高いのですか?
塚越 私どもの食品製造業では昔は、流通マージンは小売価格の約3割でした。ところが最近では、ものすごい合理的設備を使っても約5割が流通経費です。私たちは流通に関して、いったいこれまで何をしてきたのだろうかと考えてしまいますよね。
田山 その点、やはりグリーンファームの小林さんが先鞭をつけたものは大きい。生産者が、直接消費者に農産物を売ることができるシステムを作り、流通マージンを大幅にカットした。これは農家にとっても消費者にとっても有益なことだと思います。それに、農家は、それまでは売りたくても売れないでいたのが、自分で作った物を自分で価格をつけて売れるようになった。自分の手で加工した物も売れるようになった。
 農家が生産者だけでなく、商人になり加工業者にもなったわけですから、農家は、そうした仕事の全体をビジネスとして考え、自分の創意工夫ができるようになる。農家のモチベーションも大いに上がると思います。この点が特にこれからの農業において重要視しなければならない点だと思うのですよ。
小林 お褒めいただいて大変光栄です。でも、何も出ませんよ(笑い)。私どもの産直市場の場合、今の流通経費のカットとともに、もう一点重要なことは、従来の流通システムですと、流通に乗る以前に規格外品のカットがあった。形の悪いものは流通に乗せてもらえず、捨てられたりする。そういう無駄なカットをカットしたということです。そこがまた素晴らしいところですね(笑い)。従来の流通システムですと、規格外品を排除する時に、良く、「形の悪いものは消費者に嫌われる」という理屈が言われるわけです。しかし、それは本当は違います。流通させるための容器、箱にキチンと決められた数が入らないものは、流通の上で不便だ。だからカットされていたのが、本当の所なんです。消費者ではなく、大量生産時代の流通システムそのものが作り出している無駄、資源の浪費というわけです。
塚越 そんな馬鹿げたことをやっているのは日本だけだろうね。以前タイで聞いたことだけれど、日本向けの輸出用玉ねぎを出荷しているところで、規格の大きさの穴を通らなければダメだという規格を作ったそうですが、天候が良くてよく太った玉ねぎが出来た年には、ほとんどが不良品。こんな馬鹿げたことをさせる日本という国はどういう国なんだ?と、みんな思ったそうですよ。

農家がプライドを持てる農業振興策を

特別企画 伊那谷森の座談会<br>農と食のあり方を考える 【下】<br>-団塊世代の大量退職時代を前にして-

司会 商品流通のゆがんだ形の発展に影響されて、農業生産そのものが形を変える、ある種の奇形がもたらされる。だから流通システム自体の改革が求められるというお話しだったと思うのですが、農業生産のあり方そのものに関してはいかがですか?
田山 農家がね、自分なりのビジョンやポリシーを持たなければいけないですよ。さっき玉ねぎの話が出たが、例えば国内の養豚でも、一般的にはスラっとした、きれいな容姿のブタ-ブタの容姿ですよ-が消費者に受けるといわれ、みんなその種を肥育するようになっている。でもね、消費者は味や歯ざわり、肉の色などで、個性のある・美味しいものを求めている。そういうことを農家自身が自分で分析して把握できるようになっていく必要があると思うんです。
塚越 省力化した販売と店頭効果を重視しすぎていると思うんです。社会全体が「売らんかな」の姿勢に毒されているんですよ。けれども注意しなければならないのは、消費者はもうそういうものには踊らされなくなっているということです。体に良く・安全な・質の良い食品を求めている。そういう消費者ニーズを捉えれば、付加価値の高いものは、見てくればかりを気にした大量生産品ではないと思う。農産物で究極の付加価値を追求すれば、それは自分で栽培し、それを自分で調理してお客さんに提供するビジネスですよ。「ビジネス」というと誤解を招くかもしれないな。当社はご存知の通り「あたりまえのことをキチンと」というのが1つの方針ですが、今述べたのが、「あたりまえ」の農と食のシステムだと思うんですね。こういうシステムをキチンと育成すれば、現在の流通の形態も徐々に変っていくかもしれない。いや、そうやって、少しでも正常な社会にもどして行きたい。そんな思いもあって、当社では、ついに農業法人を立ち上げ、農園からレストランまで自分たちでやってみようという計画を作るに至ったんです。
牛越 ファーストフードに対するアンチテーゼというわけですね。そこに貫かれている発想は、一つひとつの農作物から、それを作った人の顔が見えるということですよね。食の安全・安心を求める消費者の声の高まりから、現在は、生産履歴を明確にして、どういう人が・どういう風にしてその作物を栽培したかを明確にすることが、農業生産サイドでも重視されてきている。確かにその究極は、自家菜園によるレストラン経営になるんでしょうね。そのシステムの重要性についてはまったく同感ですが、私は先にもお話したように、現時点では、都市の食料需要を満たすための農業生産システムも必要不可欠だと思いまして、産直・地産地消のシステムと、都市へ供給のための均質なシステムと複線化する必要があると思うのです。もちろん、都市への供給システムも、生産履歴を明記し、健康・食の安全に配慮した生産にシフトしていかなければならいと思います。
塚越 システムの複線化は必要だろうね。でも、都市への供給と言っても、それは決して安いものばかりがもてはやされる時代ではなくなっていて、例えば有機栽培のものとか、手をかけた個性のあるものが求められるようになっているし、今後その傾向はますます強まるのではないでしょうかね?
小林 現状の中で、一挙にすべて地産地消で、産直市場方式に変えることは出来ないでしょう。しかし、これは現にこの夏に西箕輪で起きていることだが、キャベツが生産過剰で、出荷されないまま、畑で潰されている。値崩れを避けるためにという指示で行われているわけです。こういうシステムを維持することにどのようなメリットがあるのか? 私には大いなる疑問です。
牛越 私も疑問に思います。しかし、今日潰すのは、明日出すものの価格を維持するためでもある。これの是非を問うとなると難しい。
田山 畑で潰せば、全農などから一定額は補償されるわけです。価格は需要と供給のバランスの上で決まるから、現状では、価格を維持しなければ、農家は作っても作っても儲からない。だから仕方がない、と農家も泣く泣く潰す。しかし、私はね、これでは、できた野菜とともに、それを作った農家のプライドも一緒に潰されてしまうということを重視したい。生産者がね、生産者の誇りを自分で潰してしまうようなシステムはやはりおかしいわけで、そういうものにずっと慣れ親しんできてしまったところに、日本農業の振興がはかばかしく進まないメンタルな要因があると思うのです。そもそも日本の食料自給率は現在4割程度ですよね。石油は備蓄量は有事の際にも150日持つといわれるが、ある先生がおっしゃるには、食料備蓄はは30~50日ぐらいしか持たないそうなんですよ。危機管理というなら、まさに食料の危機管理が最大の問題ですよ。農業が、需要と供給のバランスに左右される価格を重視しているうちに、そういう国になってしまった。
小林 10年ほど前に、ネギが市場から一斉に消えてしまったことがあるんですよ。それをきっかけにして中国からの野菜の輸入が大ブームになったわけだけれど、その時に、グリーンファームにはネギがあった。農家は自家用の野菜というものをいつも作っていて、市場には出さなくてもそれを自家用の備蓄としてしまっている。その自家用のネギを各農家1キロずつ出してくれとお願いしたら、グリーンファームだけ日本産のネギが並んだ。自分たちの食べるものは自分たちで備蓄しようという発想、これは生産者のプライドにつながるものだと思うが、それが農家には今も脈々と流れている。そういうものをもっともっと引き出せるような農業施策が必要ではないでしょうか。

地産地消の地域システムを原型にして

特別企画 伊那谷森の座談会<br>農と食のあり方を考える 【下】<br>-団塊世代の大量退職時代を前にして-

塚越 団塊の世代の定年退職を前にして-というのが今回の座談会のサブタイトルだが、まさに団塊の世代で、定年後は田舎に帰って百姓をしたいという人がたくさんいる。そういう人々が、農家が本来持っている生産者としてのプライドを引き継いで百姓仕事をし始めた時に、日本の農業は、1つの新しい形を生み出すかもしれませんね。そのためには、やはり、生産から消費に直接つながる新しい流通形態を構築していく必要があると思います。
小林 団塊世代のリタイア後の百姓仕事は、それほど大きな規模ではできないでしょう。まぁリタイアしているから兼業農家とはいえないかもしれないが、規模からいえば兼業農家並み。でも、私は、そこに重要な示唆があると思うんですよ。つまり、ずっと、日本の農業政策は、専業農家を重視してきた。商工業で人手を取られるから、農業人口が減る。兼業農家化する。さらに、商工業の人手不足は、兼業農家の離農を促進し、それにつれて、国は専業農家の大型経営ばかりを奨励してきた。少ない農業人口で大量生産をやれというわけだ。だから農業後継者不足の問題が出てきてしまうんですよ。大型専業農家は、それ自体経営が苦しいなかで、それを引き継ぐことは難しいですよ。兼業農家、定年後のリタイア農家といったものにもっともっと支援をして、そういう担い手による農業生産を上げれば、日本の農業事情は一変するはずです。
牛越 日本農業の持つ潜在的な力は大きいと思います。良く田んぼの畔は一度荒らしたら立ち直るのに相当の困難があると言われますが、人=担い手の問題も同じだと思うんですね。日曜農家、退職農家も含め、多様な担い手を育成し、農家がプライドを持って仕事をできる環境を造ることが重要だと思います。
田山 日本の農業のあり方の問題は、じつは日本の都市のなりたちの問題につながると常々思ってきたんです。日本の大都市は、京都をのぞき、基本的に農と切り離されて、単なる消費地として形成されてきた。こういう一面的な発展をした都市に食料を供給するために、地方の農も変な形になってきた。やはりね、都市は、その地域の農とともに発展しなければいけない。そういうことに、人々は今ようやく気がつき始めたんじゃないかと思うんですね。基本的にその地域で取れたものをその地域で食す。そういう地域的システムを作り出し、その上に都市を据えなおすという方向で、日本の農業の未来を展望しなければいけないと思いますね。
塚越 やはり「安全・安心」の「良いもの」をキチンと供給していくシステムが基本にならなければいけないと思います。生産面でも流通面でも、そういう「あたりまえ」のことを、「あたりまえ」のこととして実現していかなければならないわけです。戦後60年の中で、失ってきたものは大きいわけで、団塊世代の退職などを契機にして、人々がもう一度、自分たちが何のために働き、暮らしているのか?目的と手段を取り違えてきてしまったところはないのか?を考え直す風潮が広がって行けばよいですね。
司会 ありがとうございました。

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