原木シイタケのパイオニア、水上鎮雄さん、平八郎さん(駒ケ根市北割)
シイタケの味と安全性にこだわり
駒ケ根市北割の中央アルプス山ろくで親子2代にわたり、原木シイタケを栽培する水上鎮雄さん(84)と平八郎さん(51)、シイタケ栽培のパイオニアである。
おがくずに多種類の養分を混ぜた菌床栽培のキノコや安価な輸入品が出回り、クヌギやナラなど原木からシイタケを栽培する人が減少する中で、里山の自然の光と、アルプスの地下水脈から涌き出る水を使って、最高の環境で、頑固に味と安全性を極めようと、原木シイタケ栽培に取り組む。
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1946年3月、敗戦で中国から復員した水上鎮雄さんは、稲作だけでは食べて行けないと、いろいろと副業を試みる中で、61年、シイタケの周年栽培に出会い「今まで春と秋しか収穫できなかったが、これは画期的な技術。10ヘクタールの森林資源も活かせる」と原木百本から栽培に着手した。徐々に数を増やし、2代目の平八郎さんが中学を卒業する頃には、年植3千本に増え、経営の部門比率は稲作6、シイタケ4となった。
77年、鳥取大学農学部を卒業した平八郎さんは「キノコの中で育ち、親父がバリバリやっているのを見て、農業は自分で考え、自分で組み立てられる」と迷わず農業を継いだ。「同じことをやっていたのでは価値がない。(自分が)入ったら入っただけの仕事をしなくては」という頼もしい平八郎さんの言葉に、「妻と2人では仕事の量に限界があり、息子が入ってくれた経営は根本的に違う(鎮雄さん)」と、機械化とビニールハウスによる規模拡大に踏みきった。原木の伐採はチェーンソーを用い、搬出や移動にはトラクターやフォークリフトを、最も手間の掛かる穴開け作業には、高速ドリルも導入した。現在では1日800本も開けることができる。種菌も金づちで打ちこむ方法から、押し込むだけの成形種菌に進化した。さらに、同年から始まった米の減反政策も規模拡大に拍車を掛け、現在では年植1万本余となった。
87年まで10年間、JAを通じて系統出荷してきたが、様々な課題もあり、仲間が集い「自分たちで販路を開拓しよう」と、近くのサラダコスモの多大な協力もあり、スーパーへの直販の道も拓いた。
85年には「規模拡大には、労力の均等化を図るしかない」と干しシイタケにも手を広げた。
しかし、最近は中国産の安価な輸入物や、おがくず、こぬかなどを培地にする菌床栽培も増え、キノコ類の価格低下が始まった。原木シイタケが駒打ちから収穫までに15カ月ほど掛かるのに対し、菌床栽培は7、8カ月で発生し、安上がりで回転が早い。「ゆっくりと苦労して成長したキノコは味がいい、人間と同じ。おいしくて、味のいいものを作ることで可能性を広げたい」と平八郎さん。
そのためには「無農薬、有機栽培。キノコはとてもデリケート。湿度、温度に細心の注意を払う。キノコの品質は培地と原木の種類、水、品種で決まる。この地の気候にあった物、味、香り、色、形、麟被やヒダの密度など、数百種類の種菌の中から品種を選定するのが1番難しい」。
今は一線を退いた鎮雄さんは「後継者により、維持され発展している。孫も後を継いでくれそうで、苦労した甲斐があった」と笑顔。