【日本語講師 唐澤隆子さん】
駒ケ根市小町屋
日本に住む外国人に日本語を教える講師として伊那市と駒ケ根市の教室で教えている。
子育てが一段落した10年ほど前に友人に誘われ、当時住んでいた茨城県日立市のボランティア・グループに参加。外国人に日本語を教える活動を始めた。
「ずっと専業主婦で人にものを教えた経験など全然なかったが、普段話している日本語を教えるんだから簡単竏窒ニ軽く考えていた。私たちも外国に行く前に日常会話を少し勉強するから、そんなことを教えればいいのだと思っていたが、始めてみたらそうじゃなかった」
集まった外国人らの国籍はフィリピン、インドネシアのほか欧米などだったが、彼らは最低限の日常会話の能力を求めていたのではなく、日本語を理解した上できちんと話せるようになりたいと考えていた。そのため、当時できたばかりで体系的な日本語の教え方を知らず、手探りで活動していたグループのメンバーは数回の講座でたちまち教えることがなくなってしまった。言葉を単に羅列するだけの講座は方向性を失い、行き詰まった。
「これではいけない。せっかく熱意を持って来てくれている外国人に対しても失礼だ」と考え、日本語教師養成のために文化庁が支援する日本語教育能力検定試験の合格を目指して通信教育を受け始めた。試験は文法はもちろん、言語学や、子音や母音の分類をする音声学などから幅広く出題されるため、かなりの知識がなければ合格はおぼつかない。合格率は約20%の狭き門だったが、努力が実を結び、96年に一発合格を果たした。
日本語教師の人材不足から「試験に受かったらすぐに来てくれ」と言われていた日立市の日本語学校「茨城国際学院」に職を得て、本格的な日本語教師としての生活が始まった。ボランティアの講座と違い、学校に通う学生は日本の大学入試や日本語能力試験1級などの目標を持って勉強しようとしている高校卒や大学生などの留学生が中心だった。
「彼らは日本人と同等以上の語学能力を求めていた。文法に従って教えなければ上達は望めない。例えば『私の本』などという場合の『の』には『所有』『所属』『縲恊サの』など、たくさんの意味がある。私たちは母国語だから無意識に話しているが、外国人にとってはまず意味を理解することが重要。言葉を教えるというのは、日本語が話せれば誰でもできるというほど簡単なことではない」
東大をはじめとする国立大や難関私立大に合格者を多数送り出した。要請を受けて中国の大学に半年間外籍教師として派遣されるなど活躍したが、夫の定年退職を機に夫のふるさと駒ケ根市に移り住んだ。
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「懸命に教えてもうまく分かってもらえない時もある。そんな時は、もっと良い教え方があるんじゃないか竏窒ニ悩むこともあるが、教えることはとても面白いし、やりがいがある。教えたことを理解し、話せるようになってくれるとすごくうれしい。どの生徒もみんな本当にかわいい教え子です」
(白鳥文男)