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【茶道・表千家教授 日本画家 稲葉治雄さん】

駒ケ根市上穂栄町

【茶道・表千家教授 日本画家 稲葉治雄さん】

 茶道教授は世に多いが男性の竏窒ニなるとかなり珍しい。
 「習い初めたのは20歳くらいのころでしたが周りは女性ばかりでね。やっぱり恥ずかしかったものですよ」
 当時、日本画の手ほどきを受けていた同じ赤穂に住む佐藤雪洞画伯の家を訪ねた時、細君の表千家教授、宗玄さんが思いがけず抹茶をご馳走してくれた。
 「生まれて初めて味わった抹茶でしたが、いいものだなあ、と思いましたよ。それまで茶道のことはまったく知らず、人が『お茶をしてきた』と話しているのを聞いて『お茶を飲んできた』なら分かるが変だなあ、などと考えていたほどでした。今思えば、あれは茶道を習いに行った帰りだったんですね」
 教室に通い始めるとどんどん茶道が楽しくなり、上達も人一倍早かった。茶道に関するさまざまな書物も読み、日本文化全般への造詣も自然と深まった。本の中には名古屋在住の吉田尭文宗匠の著作もあり、いつか教えを受けたいものだと考えていたところ、折り良く飯田線に快速電車が走るようになって名古屋への日帰りが可能になったことから、手紙を書いて直接の指導を懇願した。
 「どうせだめだろうと半ばあきらめていたら、しばらくして返事が来ましてね。本当は紹介者が必要だが特別に許可する竏窒ニ書いてきてくださったんですよ。熱意が通じたんでしょうかねえ。うれしかった」
 5年間通った尭文宗匠の教室では「徹底的に基礎を教わった。ただ茶わんを持つだけの所作でも、ひじの角度が悪いと指摘されたりしたものです。おかげで美しい所作の大切さを学ぶことができました。茶は決まった手順通りにやればそれでいいというものではない。人それぞれの体に合わせた美しさを考えることが大切なんです」
 30歳代後半になって自分の教室を開いた時にも、形より心を伝えることを心掛けた。
 「茶道の心は・ス思いやり・スですね。千利休の言葉に『仏に供え、人に施し、我も飲む』とあるように、自分をおいてまずほかに心を配る。茶道に限らず、こうした心構えを忘れたくないものです」
 長きにわたって多くの弟子を送り出してきたが「このところ茶道人口が減っているのが少し寂しいですね。私の若いころには教室が人でいっぱいになり、深夜近くまでもやっていたものです。茶道の素晴らしさがあらためて見直されて、そういう時代がまた来てくれればいいですね」。
 (白鳥文男)

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