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青年海外協力隊帰国隊員
箕輪町
藤沢志保さん

 青年海外協力隊員として05年4月から07年3月までの2年間、アフリカのセネガルに派遣された。洋裁学校に通っていた経験を基に、女性達が手芸を通じて現金収入や楽しみを得る目的で、手工芸を指導した。
 大学卒業後、会社勤めをしていたが、ずっと海外での生活にあこがれていたこともあり、留学ではない道を考え、青年海外協力隊員になった。任地はカオラック市。配属先「女性の地位向上協会」の活動の一環で、婦人会など女性グループ2団体、HIV陽性者の会、職業訓練校の4カ所で手工芸を担当した。
 現地の女性は、ほとんど手芸の経験がなく、洋裁、編み物、刺しゅう、染色、ミシンがある施設ではミシンの使い方から教えた。職業訓練校は先生への指導で、情報が少なく毎年同じカリキュラムのため、はぎれで花を作るなど新しいアイデアを提案することが主な仕事だった。
 公用語は仏語だが、手芸を習いに来る女性達と話すため現地のウオロフ語を学んだ。「言葉は全然伝わらなくて、手本を見せることでごまかしてました」。言葉の問題に加え、材料不足、好みの違いもあった。「素朴でかわいいという感覚はあまりない。派手な色でかっこいいものが好まれるので、好みに合うものを考えるのが少し大変だった」という。
 セネガルは“もてなしの国”と言われる。全然知らない通りすがりの人に、ご飯を食べていって-と声をかける。「断ってはいけないと言われていたので、食べさせてもらいました。人懐っこい人達で、興味津々で質問してきて」。任期途中からは、職業訓練校の先生に毎日昼食をごちそうになった。
 気温は20度から40度。「暑くて暑くて、最初は生活するだけで大変でした」。値段交渉をする市場での買い物も労力を使った。時間を守らない、2時間遅れ、すっぽかしは当たり前。「最初はそれですごいイライラしていたけど、せかせかしてもしょうがないと思うようになりました」。
 停電や断水も頻繁にある。停電になると皆外に出て、月明かりの下でお茶を飲みながら話をする。「贅沢な時間の使い方」にも触れた。
 「手芸を習いに来た女性は、よくしゃべるおばちゃんの集まり。私がちょろちょろして、遊ばれてる感じでした」。現地の人とふれあい、肌で感じたセネガル。「派遣前は女性が虐げられているイメージだった。実際、家事や育児は男性はノータッチ。水を飲むにも働いている女性を呼ぶ。でも女性は屈することなく言いたいことは言う。肝っ玉母さんで威厳があるというのが私の印象です」。
 月日の経つのがとても長かった1年目。生活にも慣れ活動もスムーズに進むようになった2年目は瞬く間に過ぎ、寂しさの中で帰国の日を迎えた。
 「セネガルに行ってよかった。人が温かくて親切だった。2年間の経験をどこかに生かしていけたらと思う。いつかお世話になった人に会いに行きたい」
(村上裕子)

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