青年海外協力隊帰国隊員
箕輪町
北原明子さん
パラグアイで野菜栽培指導
05年4月、青年海外協力隊員として南米のパラグアイに派遣された。野菜栽培を指導する農業技師で、現地の高校生に土作りの基礎から教え、2年間の活動を終えた07年3月、帰国した。
大学在学中、青年海外協力隊の経験者から話を聞き関心を抱いた。観光で訪れたカンボジアで、貧しさや地雷被害がある中で生きる人々を見て、役に立つ仕事がいつかできたら-と漠然と思ったことが隊員を目指す入り口となった。勤めていた会社を辞め、大学の農学部で学んだ経歴を基に協力隊に志願した。
派遣先は、ルケ市にあるファビアン・カセレス学校。幼稚部から高等部までの一貫校で、農業科の高等部を受け持った。
パラグアイは野菜を食べないことが国家レベルの問題で、国のプロジェクトとして学校に農業科があり、家庭菜園も推奨しているという。
食べる野菜はトマト、レタス、キャベツだけ。「生徒のほとんどがキュウリを見たことがない。ブロッコリーを食べていたら気持ち悪いと言われたほどです」。そのため、スープなどトマト味の料理があり、生徒も興味を持っているトマトをカリキュラムの中心にし、毎日畑に出て土の耕し方、種のまき方から収穫までを同僚の教諭とチームを組んで教えた。
「問題は私の語学。伝えたいことはたくさんあるけど、最初は生徒に理解してもらえなかった」。生徒60人のうち農作業の経験者はわずか2人。実際に手本を見せて指導した。
学校に予算がなく農薬も肥料も購入できない。「虫が来れば来放題、病気が出れば出放題。それを生かして害虫や病気を教えたけど、なかなかうまくいかなかったですね」。しかし作業をしながら家庭や友達の話をすることで生徒の生活が見え、距離が縮まった。
「なめられないようにきちっとするところはして、でも最後まで生徒とは友達みたいでした」
一番驚いたのは、雨が降ると学校に来ないこと。「傘がないからと言って来ない。先生が来ないことも。本当にのんびりしてました」。最高気温は40度から45度。本当に暑い日も生徒は来なかった。
「とんちんかんなことをするのは日常茶飯事。伸びる芽の一番上を取ってしまうこともあった。『ぼくはやってない』と、絶対謝らないです。面白かったですね」
なかなか謝らない頑固な面もあるが、友達になったら一生友達という情が厚い国民性。「悩むこともあったけど、周りの人がすごく親切にしてくれ、サポートしてくれた。先生も嫌なことを言う人はいなかった。うまく話せなくても話しかけてくれて、温かく包んでくれたので活動ができた」と振り返る。
貴重な経験だったという2年間。「自分に出来たことは何もなかったのではと思うけど、この子達が日本に少しでも興味を持ち、そこから世界を少しでも見てくれたら。私が与えた影響が、この子達の中で考える材料になってくれたらうれしい」(村上裕子)