吉良家ゆかりの地同士で親ぼく
愛知県吉良町の町議10人が7日、忠臣蔵で知られる吉良上野介義央に仕えた、理鏡(りきょう)が晩年を過したといわれる伊那市美篶青島を訪れた。青島地区役員ら約10人が本年6月に同町を訪問したのがきっかけ。吉良家ゆかりの地同士の親ぼくを深めた。
理鏡は、赤穂浪士の討ち入りの際、にけがを負うが逃げ延び、後に出家して犠牲者の冥福を祈り続けたという人物。諸国順礼の後、20年間羽広仲仙寺で修行を積み、亡くなるまでの3年間を青島の円通庵観音堂で過したという。
町議らは長野県の県政視察に合わせて訪れた。青島地区役員ら約10人が円通庵を案内したり、若林徹男区長らが制作した、理鏡の生涯を題材とした手作り紙芝居を送ったり竏窒ニ交流を深めた。
理鏡の遺品は地元住民によって整理され、それをもとに住民たちは共有田を購入。その収益は飢饉(ききん)や災害などの有事の際に活用されたといい、吉良町の町議の岩瀬良郎さんは「理鏡がこの地で活躍したことがうれしい」と感想を述べた。
若林区長は「吉良町との交流は今後、民間だけでなく行政レベルでの交流に広がっていってほしい」と話している。
理鏡を題材とした手作り紙芝居を吉良町の岩瀬町議に送る青島の若林区長