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日章旗64年振りにふるさと飯島に万感の帰還

ガ島から持ち帰った元米海兵隊員の遺志で、遺族に帰還

日章旗64年振りにふるさと飯島に万感の帰還

 太平洋戦争の激戦地、ガナルカナル島で戦死した飯島町七久保出身の日本兵、故宮下忠男さんの武運長久を祈る日章旗が17日、飯島町役場で、ガ島から持ちかえった元米海兵隊、故デッド・チャールズ・ポールセンさん(米国ユタ州)の関係者から、64年振りに遺族に返還された。
 役場には昨年8月に亡くなったデッド・チャールズさんの息子、ロリン・デッドさんから、友人を通じて、日章旗の持ち主探しの依頼を受け、日本に持参したイエス・キリスト協会のデビッド・ロバーソン夫妻(東京在住)が訪れ、戦死した忠男さんの実弟、北沢照雄さん(86)に手渡された。
 北沢夫妻をはじめ、妹夫婦ら遺族9人、町、日本側の協力者、関口浩さんら約20人は万感の思いを胸に、両国の絆と平和を祈るセレモニーを見守った。
 忠男さんは1918年七久保村うまれ、39年応召され、43年11月2日、ガダルカナル島で戦闘に参加、中部太平洋上で撃沈され、戦死(享年25歳)したとされている。階級は軍曹。遺骨や遺品は届いていない。
 関口さんの説明では、ポールセン海兵隊員は一級砲手として、ガ島で戦い、日本兵の生死を確認するため、1つ1つ遺体を調べる中で、階級の上と見られる遺体から、ピストルや短剣とともに日章旗を本国に持ち帰った。以来、勇敢に戦った日本兵士への敬意を込め、大切に保管していた。数年前から、持ち主の遺族に返還したいという思いが募り、友人を通じて、ロバートソンさんに遺族を探してくれるように依頼した。
 日章旗には七久保神社や村関係者などの署名はあったため、昨年11月、飯島町に照会があった。しかし、出征兵士の名前「為書き」が無かったため、持ち主探しは難航、1時はあきらめかけたが、7月の飯島町戦傷病没者追悼式を機に、51人の署名者のうち、村外者4人は親族では考え、その方向から調査を再開、8月10日に持ち主が判明。その報告が米国のポールセン家に届いたのが14日、奇しくもデッドさんの一周忌の命日だったという。
 ロバートソンさんは「19年前から度々来日し、日本の人々の交流する中で、どうして、このような愛のある、すばらしい人たちと戦いを起したのか理解できないと感じた。人と人の間に愛と理解があれば戦いは起きない。日章旗の返還に参加できたことに感謝している」と話した。
 また、遺族を代表し北沢さんは「兄の遺品が戻ることなど、夢にも思わなかった。多くの皆様のお骨折りのお蔭」と感謝していた。 この後、遺族らは墓参りをし、墓前に報告した。遺品の日章旗は忠男さんの実家である宮下家で保管するとか。

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