箕輪町文化財保護審議会長
蟹沢廣美さん
箕輪町文化財保護審議委員になって13年目。現在、会長を務める。「文化財をもっと知るべき。また、知らせるべき。現地に足を向けて見てもらう機会をとらえることが大事」という。保護だけでなく活用の大切さも強調し、「公開できることは公開し、地元の人が見聞きすることで大事だと気付き、子へ、孫へと知らしていくことで愛着、郷土愛ができる。それが大切」と語る。
昔から歴史や民俗学が好きだった。中部電力に勤め上下伊那を仕事で動いていたころから、神社や寺、墓や城跡を見て歩いた。
民俗学専門の学校時代の恩師に話を聞き、史跡を見に出かけた。「あそこに古い石塔があったけど…」と地元の人に話を聞いたことは数知れず。下伊那に化石が出ると聞けば出かけ、ミイラがご神体の神社を知ると、ご神体は見られないとわかっていても、見たくて見たくて神社まで行った。会社の出張所に泊めてもらい、伝統の祭りも見物した。
昭和30年代前半、県の未点灯部落解消政策により、山間部の電気のない地域で設計をしていた。測量で集落に数日滞在するが、平家の落人の家に泊まったときは鎧を置く床の間付きの広いトイレを見てますます興味が沸き、家人に話を聞かせてもらったこともあるという。
「現地を歩いて、見て、耳から聞いたら、自然に興味が出ちゃう。ますます面白くなって、その興味が今日まで続いているのかと思う」
学校時代の恩師、荻原貞利さんが関わった伊那市誌の編集を手伝い、箕輪町の木下区誌編集では編集委員を務めた。
戦時中に寺の鐘を供出を避けるため火の見櫓につけた話を聞き、91年から、消防署の許可を得て町内全29の半鐘を一人で調査。木下2基と中原、八乙女の計4基にお堂にあった鐘などの内容が寄付した人の名前と一緒に記されていることがわかり、この調査は「伊那路」に発表した。
95年に町文化財保護審議委員になり、最初の調査が大出上村と北小河内漆戸の「大文字」の町無形文化財指定。大文字を作る話し合い段階から記録を取り徹底的に調査した。
「現役時代、上司に凝り性だと言われた。文化的なことは1+1は2にならない。でも2にならないと気持ちが悪い。それは技術者の宿命。電気は答えが出ないとだめだからね」
箕輪町沢にある西光寺の延命地蔵の調査も、作った人物は向山重左衛門とわかっても、「名前だけでは価値がない」と通い続け、ついに名前、年代が書かれた石塔を見つけ出したほど。「何がある?、何かあると調べる。やってるときは夢中で面白いな」。筋金入りの凝り性だ。
「目先だけを捉えたのではだめ。本質を見ないと本当の歴史は出てこない」
これから調査したいことはいくつもある。木下南宮神社の鹿頭行列もその一つ。伊那市福島、あるいは南箕輪村大泉から行列が歩いたと思われる道を自分の足でたどり、400年も昔、子どもの足で何時間かけて歩いたのかなどを調べたいという。(村上裕子)