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南箕輪村
御嶽山保存会

 南箕輪村大泉に残る民謡「御嶽山(おんたけやま)」。05年に村の無形文化財に指定されたこの民謡を後世に伝えようと、村内の15人が活動している。
 「民謡の団体とは大いに交流したい」と清水伝之丞会長。そんな想いがかない、木曽町の「木曽節保存会」(田沢博会長)と初の交流が実現した。
 9月9日、木曽町の総合体育館であった敬老会で、ボランティアで「御嶽山」と「伊那節」を披露した。観客は450人。「皆ではりきってやった。『御嶽山』や『伊那節』を聞いたことがある人もいて、中には見よう見真似で手を動かして踊る人もいた。とっても喜んでもらった」。
 その後の茶話会で、木曽節保存会から「『御嶽山』は木曽にも重要。ぜひ覚えて木曽にも残したい」との話があり、近いうちにまた木曽を訪れ交流することが決まった。
 今回の交流は、今春、名古屋であったイベントに両団体が参加し、木曽節保存会の田沢会長から「御嶽山」のいわれを尋ねられたのが発端。木曽から伊那に伝わったことを話したところ交流の話が持ち上がり、御嶽山保存会の清水会長が7月の木曽祭りに招かれた際に再び話をして今回の訪問となった。
 「交流のスタートとしては大成功。木曽では役場の課長さんにも交流を続けてほしいと言われ、あちらは熱心。保存会としても喜んで交流していきたい」と清水会長はいう。
 「御嶽山」は1820年ころにはすでに流行し、1908年に「御嶽山」から「伊那節」に名を変えたが、大泉では「御嶽山」の名で継承されてきた。祝い唄として村祭りや来客のときには必ず唄って踊り、60年ころまでは結婚式にも欠かせないものだったという。
 その後しばらく途絶えていたが91年、大泉区内で民謡に親しんでいた人たちが、個人で唄い継いでいたものを集めようと保存会を発足。それから4、5年経ったころに、皆で踊りを研究するなかで現在の形に整えた。
 会は伊那節振興協会に所属。唄2人、三味線2人、太鼓1人、残りの人は踊りを担当する。大泉の西部地区館で毎月第2金曜日に練習し、区内の敬老会や収穫祭で踊るほか、依頼を受けて催しなどでも「御嶽山」を披露している。
 04年には、日本フォークダンス連盟(本部・東京都)の事業で、全国から選ばれた10曲のうちの1曲として、CD「ふる里の民踊」(コロムビアレコード)に収録された。全日本民踊指導者講習会で全国の民踊指導者千人に「御嶽山」を指導したこともある。
 念願かなって民謡の保存会同士の交流も始まり、「『御嶽山』を全国に広めたい」と、ますます意欲を見せている。(村上裕子)

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