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2511/(月)

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【ネパールから3年ぶり帰国 林光洋さん】

駒ケ根市中沢

【ネパールから3年ぶり帰国 林光洋さん】

 駒ケ根市が派遣する3代目ボランティア調整員としてJICA(国際協力機構)ネパール事務所に3年間勤務し、8月に帰国した。
 海外生活を終えて帰って来てみると、日本や駒ケ根に以前と違う印象を受けた。
 「ネパールと比べて人が冷たいと感じました。それに町がやけに静かで落ち着かない。うるさくて騒がしかったカトマンズが懐かしくて、帰りたくなってしまいました」
 ◇ ◇
 04年、2代目のボランティア調整員の帰国に伴って後任の募集があった。小学生のころから国際協力に興味があり、いつかは海外で仕事がしたいと思っていたため、このチャンスを生かしたい竏窒ニ応募して合格。子どものころからの夢をかなえた。
 早速青年海外協力隊の候補生らとともに訓練所に入り、3カ月間合宿生活を送りながら語学訓練に励んだ。
 「ネパール語より、公用語の英語に磨きをかけた方がいい」というJICAなどの方針に従い、ネパール語は自主的に少し習ってみただけ。これで後に困ることになる。
 いよいよネパールに向けて出発。期待に胸を膨らませてカトマンズの空港に降り立ったが、一瞬不思議な感覚に襲われた。
 「駒ケ根と風景がそっくりなんです。地形が盆地だし、近くに高い山が見えていて…。だけど町の中は大違い。人口200万人以上というだけあって家は密集しているし、道路は常時混雑している。騒々しい町でした」
 張り切って着任したが、早々に異国ならではの洗礼を受けた。
 「食べ物や水のせいでしょうか。ひどく腹をこわしました。でも仕事は毎日あって休むわけにはいかず、本当に苦しくて。体力が衰えると気力もなえ、何でこんなことやってるんだろう、帰りたいなと正直、思いました」
 公用語は英語竏窒ニいうことだったが案の定、現地の住民は英語など話せない。日常のコミュニケーションがまったく取れなかった。
 「仕方なく、休みの日にネパール語の勉強を始めました。意外にも、少し分かってくると早く覚えられました。なぜって周りでしゃべっている言葉が常に耳に入って来ますからね。やっぱり言葉は習うより慣れろですね」
 頼みは英語だったが、これも現地なまりがひどくてろくに聞き取れない。加えて聞いたことのない専門用語もたくさんあって理解ができず、苦労の連続だった。
 そんな折、国内の治安が悪くなってきた。04年末に国王が政治の実権を握ったことにより、マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)に対する弾圧が各地で始まったのだ。
 「ドンパチがあちこちの地方で起き始めました。各地で働くボランティアらの安全のために、彼らの勤務地を変更してやる必要が生じてきたんです。戦闘が始まって状況が悪くなってからでは遅いので、その前に前兆を感じ取って引き上げさせなくてはならない。人命にかかわることでもあり、情報収集や調整に非常な苦労をしました」
 日々の仕事を夢中でこなしたが、この大変な時期を経験したことにより「その後は言葉や仕事が一気に楽になった」という。
 ◇ ◇
 「この海外生活で得た収穫はすごく大きい。頭の中が劇的に変わりました。いろいろな国の人や文化に触れて視野が大きく広がったことで、少しは成長できた気がします。3年間の経験をこれからの行政の中にぜひ生かしていきたい」
 (白鳥文男)

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