高遠焼 登り窯に煙立つ
「高遠焼」復興にかかわった伊那市高遠町の陶芸家・唐木米之助さん(83)は2縲・日、勝間にある白山登り窯に火を入れ、つぼや皿など約600点を焼いた。
高遠焼は1813年、月蔵山から高遠城へ水を引くため、美濃から陶工を招き、城内導水用の土管を焼いたのが始まりといわれる。明治半ばに衰退したが、1975(昭和50)年に復活した。
登り窯は幅3メートル。山の傾斜に沿って4段に連なり、余熱が下部から上部に上がっていくようになっている。
昼夜を問わず、窯の温度調節が必要で、火の色や煙の出方などを見ながら、唐木さんの跡を継ぐ孫の浦野真吾さんら5人が交代で、下部から徐々にまきをくべた。最高温度は1250度にもなり、冷える夜も暑いくらいだ。
通常、灯油を使った窯を使うが、年1回、登り窯で作品を焼き上げる。唐木さんは「温度調節は難しく、いくら温度計があるといっても経験がいる。歴史ある高遠焼を次世代に引き継ぎたい」と話す。
4日に火を止め、10日ほど経ってから作品を取り出す。