歴史シンポジウム
「高遠石工」
伊那市の歴史シンポジウムが25日、高遠町の高遠閣であった。高遠石工に培われた貴重な文化遺産を掘り起こし高遠石工の魅力を再発見しようと、まほら伊那市民大学講座として開き、約150人が「高遠石工」をテーマにした研究発表を熱心に聴講した。
日本石仏協会常任理事で日本石工調査所の小松光衛さんは、「日本の石工と高遠石工」を話した。石工は石の加工技術者で墓石の技術から発展したこと、日本の石工分布では江戸・京・大阪で活躍した名工ぞろいの三都石工などを紹介し、「日本の石の文化は決して低くないが、石工を取り巻く状況は弱い。もっと支えないといけない」と話した。
高遠石工については「旅稼ぎ石工」という特質を挙げ、北は青森県から南は山口県までの足跡を示した。江戸期の名石仏師・守屋貞治については、「大方は地蔵と観音の作者で、旅稼ぎ石工の範ちゅうの外の人と思っている。守屋貞治の石仏を国の文化財指定までもっていってほしい」とした。
石工資料全般について、「地元から資料を出し公開してもらわないと、長野県史で終わってはもったいない。今からでも資料探しや伝わっている話を聞くなどしてほしい」と語った。
日本石仏協会理事の伊戸寛さんによる「高遠石工の足跡と伊豆型の道祖神について」の研究発表もあった。