【年男】林赳さん(83)
駒ケ根市飯坂
60年で一回りする干支(えと)の一番最初の組み合わせであることから縁起が良いとされる甲子(きのえね)の年の生まれ。教員として県内の小中学校、高校に約40年間勤務した。教員時代から取り組んだ鳥類や動植物の研究で知られ、現在も駒ケ根市立博物館の学芸員として活躍している。
「実は教員になる前は軍人だったんだ」
太平洋戦争開戦直後の1942(昭和17)年に当時のエリート中のエリートコース、陸軍予科士官学校に合格。本科を卒業して45(昭和20)年に少尉に任官した。軍の中でも特に選抜が厳しく、高い能力が求められる戦闘機のパイロットに志願して採用され、兵庫県の航空基地で飛行訓練を積んだ。
「訓練は厳しかったな。飛行機では失敗や事故は即、死だからね。特に着陸は操縦の中で一番難しい技術だから気を使ったよ。今でも旅行なんかで旅客機に乗るとそのパイロットの腕がよく分かるね。着陸の時にショックがあるのは下手なやつだ」
だが、戦地に出る機会はないまま、同年8月に終戦。
「国のためと思って軍人になったはずなんだが、終戦で人生観が変わった。しばらく呆然としていたが、生き延びたんだという思いがだんだんとわいてきてね、これからは何か人の役に立つ仕事をしなければならんと思ったんだ」
戦後しばらく、軍人は公務員になれない規定があったが、その後それも解け、県農林専門学校農科(現信大農学部)を経て、卒業後、教員となった。
「とにかく、昔のような戦争だけは絶対にいかん。人間をおかしくしてしまうからね。今の若い人には分からんかもしれんが、平和というのは本当にありがたいものだ」