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兼業農家の主婦として、義母や夫との暮らし、つながり、感じた思いをつづったエッセイを集めた『人生どっこいしょ』を出版
伊那市手良
小松利江さん(70)

兼業農家の主婦として、義母や夫との暮らし、つながり、感じた思いをつづったエッセイを集めた『人生どっこいしょ』を出版<br>伊那市手良<br>小松利江さん(70)

 後に続くお嫁さんたちの少しでも手助けになればと思ったの竏秩B
 伊那市手良地区が毎月発刊している地域のコミュニティーペーパー「手良民報」で、8年間にわたり書き続けてきたエッセー。その8年分のエッセーをまとめた著書『人生どっこいしょ』をこのほど出版した。
 その中にある「嫁と姑(しゅうとめ)」では、90歳にして突然痴呆症になった義母と、それに動転しつつも日々悩みながらやり取りをしてきた自身の思いと、この地に嫁いでから“嫁と姑”として、母、夫、家族とともに過ごしてきた半生を振り返っている。
 話に聞いてはいたが、いざ身内の痴呆と向き合うのは難しかった。大きな声を出したり、怒ったりすると、かえって相手の感情を高めたり、プライドを傷つけてしまう。そこで夫は「干渉しない、ご飯をセーブしてはいけない、大きな声で怒ってはいけない」という3カ条を決めた。
 「でも、人間だからなかなかそうも言ってられなかった。そのはけ口として、書くことを始めたの」と話す。
 その後、手良民報から執筆依頼があり、「後から続くお嫁さんの手助けになれば」と、それまでに書きためたものを整理しながらエッセーにした。
 ◇ ◇
 下伊那の天龍村出身。花嫁衣装をまとって列車に乗り込み、この手良に嫁いできたのは22歳の時だった。それから、夫の祖母、母、兄弟2人、自分たち夫婦の6人暮らしが始まる。
 嫁はまず、その家のご飯炊きのやり方などを一から覚えなくてはならない。また、兼業農家だったため、畑仕事や蚕の世話もしなければならなかった。それは当時の農村では当たり前のこと。しかし当時は、もっと気楽に暮らしたい竏窒ニ、夫婦二人で暮らす人たちがうらやましかった。
 母は正直な人だった。違う環境で育ってきた人間同士が一つ屋根の下で暮らすのだから、当然思いの行き違いや衝突もある。そんな日々に葛藤(かっとう)し、隠れて涙することもあったが、孫嫁である自分を可愛がってくれた祖母は「嫁と姑がうまくいくと『鍋かまが割れる』という。それが普通なんだよ」と励ましてくれた。
 「でも、母はいろんな面で私を人間に育ててくれた。我慢すること、近所との付き合い方竏秩Bそういう意味で、母にはすごく感謝しているの」と語る。
 月日のたつのはあっという間だった。40年をともに暮らした母は痴呆となり、半年で他界した。母がいなくなった家には、何ともいえない寂しさが漂った。葛藤の一方、長い年月の中で“家族”という絆(きずな)を結んできた姑の存在を、あらためて実感した。

兼業農家の主婦として、義母や夫との暮らし、つながり、感じた思いをつづったエッセイを集めた『人生どっこいしょ』を出版<br>伊那市手良<br>小松利江さん(70)

 ◇ ◇
 今は自分自身が姑という立場となったが、時代は変わり、同居は当たり前ではなくなった。自分も現在、夫とネコと暮らしながら、月1度、手良民報に寄せる原稿に頭を悩ませつつ、気ままな生活を送っている。
 本のタイトルに用いた“どっこいしょ”には、人知れない思い入れがある。
 「人生なんて『どっこいしょ』よ。どっこいしょって言葉は一休みして、また『さーやろか』って気持ちになるエネルギーをくれる。だからこの言葉が大好きになった。今は猫の昼寝のような生活で、何にもないけど、健康だし、それが一番幸せかもしれないね」

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