濡れた畦にひざまずいて
専業農家 瀧沢郁雄
伊那市西箕輪
毎朝、田んぼの水を見てまわる時には、100ミリのマクロレンズをつけたカメラを持っていく。手ぶらで歩いている時よりも、カメラを持つだけで見えてくる生き物の数が格段に増える。それほど意識はしていなくても、普段より積極的に被写体を探しているのだろう。
稲の葉にとまる羽化したばかりのピカピカのアキアカネがまず目に入る。視線を落とすと、これから羽化するヤゴが茎を登っている。ウキクサの上でじっとしている、まだ尻尾の残る幼いアマガエルと目が合う。背中いっぱいに卵を産み付けられたコオイムシのオスが急いで水中に逃げ込む。イネミズゾウムシがスイスイと泳いでいる。
気が付くと、僕は朝露でぐっしょりと濡れた畔にひざまずき、虫たちに謝っているような格好をしている。田んぼの生き物を見る正しい姿勢は、きっとこの謙虚な姿勢に違いない。
そうして田んぼを覗いていると、生き物たちが語りだす。アシナガグモの巣に引っ掛った羽化したばかりのオツネントンボが「助けてー」と叫んでいる。クモは久しぶりの食事にありつけるうれしさでそわそわして、巣の端から端を行ったり来たり。水面から太ったトノサマガエルが顔を出し、退屈そうに大あくび。いつの間にか、生き物を擬人化して見ている自分に気がつく。
大好きな宮沢賢治の「やまなし」の世界が目の前にある。彼はサワガニを擬人化し、さらにカニの川底からの視線で物語を作った。水面に突き刺すカワセミの鋭い嘴の描写は、川岸でぽつんとひとり、カニに謝る姿勢でいる賢治の姿を連想させる。
「やまなし」は「小さな谷川の底を写した2枚の青い幻燈」の物語。たった2枚の写真から、あんなに素適な言葉が生まれる。そんな写真が撮りたくて、田んぼでシャッターを押している。
田んぼからは米だけが生まれてくるのではない。生き物はもちろん、物語も生まれてくる場所なのだ。