4年間伊那毎日新聞に連載してきたエッセー「山裾の井戸端だより」をまとめた著書を出版
伊那市西町大坊
斧研つね子さん(66)
“自分が歩いてきた足どりを後々の子孫に残したい”。そう思った時、これが私のすべてだった竏秩B
4年間にわたり、伊那毎日新聞に連載してきたエッセーをまとめた著書『山裾の井戸端だより』(信濃文芸社)が出版されたのは、自身の66歳の誕生日である昨年11月15日のこと。そば打ちのこと、友人らとの世間話、南大東島を訪れた時の話、社会の話題竏秩B活動的な毎日の中で、自身が感じた思いをそのままにつづった一つひとつのエッセー。心温かなエピソードは、会う人をほっとさせる彼女の笑顔そのもの。社会に向ける真剣な眼差し、楽しい冗談話も、芯(しん)が強く、前向きに生きてきた彼女そのものだ。ページをめくるたびに、彼女との楽しい会話をしているような感覚を覚える。
「立派な文じゃないけど、読んでくれた人はかえって読みやすいって言ってくれる。褒められているんだかけなされているんだかね。でも、自分が書いた先に読んでくれる人がいることは嬉しい」照れ笑いする。
◇ ◇
肝臓に直径10センチのがんがあると分かったのは昨年8月。すぐに手術を受けることになり、急きょ松本の信大病院に移った。
20年前、幼い子ども3人を抱えたまま、夫をがんで亡くした。女手一つ、子どもたちを育てていかなければならないという現実を突きつけられる中「私が強く生きなきゃ」と、強い決心を固めた。10年前、自身が脳梗塞で倒れた時も「まだ死ねない」と奮起し、社会復帰も果たした。そうやって生来の気丈さと前向きさで、これまでも幾多の困難を乗り越えてきた。
しかし、今回は違った。「しっかりしなきゃ」と思う反面「もうだめかもしれない」という思いがよぎる。自分の死と直面する中で導き出された一つの結論が、これまでに書いたエッセーを本にすることだった。せめて自分の足どりを何かの形として残しておきたい竏秩Bその一心で、知人に本の出版への協力を頼み込んだ。
「分かったよ。でも、もし無事に生還したら、自分で本を配って回ること。それが約束だよ」
出版日は自身の誕生日と決め、交渉は成立した。
それから闘病生活が始まった。涙を見せることはほとんどなかったが、それでも「頑張れ。私がしっかりついているでね」と言ってくれた友人の励ましには思わず涙が溢れた。
ほどなくして、手術が行われた。18時間にもおよぶ大手術だったが、麻酔で眠っていた自分は覚えていない。
目が覚めた瞬間、自分が生きていることを実感した。
「先生、助けてくれてありがとう」と礼を言うと「手術じゃ助からないと思ったかい」と医師。思わず笑いがあふれた。
それからも病床で激痛と闘う日々が続いた。それと同時に親しい友人らから続々と手紙が届くようになった。
「やったね つねちゃん」「笑い声弾ける日を待っているよ」
絵手紙に添えられた温かな励ましの言葉。
「つね子さんの手術は成功したそうですね。わたしもうれしくおもいました」「元気になったら、わたしたちの南大東じまにあそびにきてくださいね」
交流のある南大東島の子どもたちからも多数の声が届いた。
こんなに大勢の人が応援してくれている。もう一度頑張らなきゃ竏秩B周囲の温かな励ましが、回復への原動力となった。
◇ ◇
退院してからは、約束どおり、自身の快気祝いとして本を知人に配って回っている。そしてまた、人とのかかわりがどんなに嬉しいことなのかを改めて実感した。
「大勢の方に支えていただいたもんで、これからは自分の命を大切にして、感謝の気持ちで過ごしていきたい。本を読んでくれた人には『私こうだったの』ってことを感じてもらえたら」