西駒山荘管理人
伊那市西春近
宮下拓也さん(31)
西駒山荘は大正2年(1913年)の箕輪町の中箕輪尋常小学校の遭難を契機に、駒ヶ岳北の将棋頭山の山頂近くに設けられた歴史深い山小屋だ。その管理人となって8年、山小屋として使用される7月中旬から10月中旬までの間、この小屋に滞在し、訪れる登山客を迎え入れている。
山の気象条件の中で毎日異なる表情を見せる素晴らしい眺望に加え、初夏から秋にかけ、山小屋の周辺ではさまざまな高山植物が咲き誇り、刻一刻と変化していく。また、秋の紅葉は鮮やかに山を彩り、一足早く冬の訪れを告げる。
「同じ日の出でも、毎日全然違う。花にしても、空にしても。初夏から秋にかけて、それが分かるのは、やっぱりここに住んでいる特権なんだと思います」と語る。
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西駒山荘が市営となったのは1971年のこと。駒ヶ岳ロープウエーの開業により、桂小場からの登山ルートを利用する登山者が減少し、山小屋の経営が難しくなったためだった。以降、夏の間の管理は信州大学農学部の学生寮の寮生たちに委託。同学部の寮生だった自身も、大学2年生から卒業まで、この小屋の管理に携わった。しかし、自分が卒業した後、寮生の数が減少。山へ登ろうとする学生も少なくなり、寮生だけで小屋の管理をしていくことが難しくなった。
「それなら自分が管理人となってみたらどうだろう」。
もともと大学卒業後は山小屋の仕事をしたいと考えていたこともあり、ふいにそんな考えが浮かんだ。その後、市に申し出て、2001年から西駒山荘の管理人を任されることになった。
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学生のころ、バイトで小屋の管理をしたこともあったが、約3カ月間ここに住み込み、管理するということはその時とは全く異なるものだった。学生のころの滞在期間は長くてもせいぜい5日ほど。また、訪れる登山者も少なかった。
「そのころは寮生もそういうものだと思ってました」と笑う。
しかし、管理人になってからは、訪れてくれた登山者に、できる限りここの良さを知ってもらえるよう、限られた環境の中で工夫を重ねるとともに、安全な登山に臨んでもらうための情報提供などに心掛けてきた。
「山小屋は最後の灯台のような道しるべだと思うし、お客さんもそれを求めてやってくる。やっぱり、ここに泊まってくれたお客さんには安全な登山を楽しんでほしいから。あと、こんな辺鄙(へんぴ)な所まで来てくれたお客さんに『こんなに良い所なんだよ』ということを、お知らせできればと思うんです」と笑顔を見せる。
そんな思いが伝わったのか、ここ数年、常連登山者の数も増えてきた。
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また、管理人となってからはさまざまな登山者に出会った。
聴覚に障害のある人、杖をついて登ってくる人、高齢の老夫婦竏秩B
異なる立場の人たちは、さまざまな思いを胸に登山に臨んでいた。また、何よりも、山に登ること自体を本当に楽しんでいることを知り、嬉しかった。
今後はもっと、子どもたちに登山に親しんでもらえないかと模索している。
「ロープウエーで登るのは簡単だけど、達成感は自分で登った時にしか得られない。中央アルプスは北南のアルプスに比べて幅が狭く、ふもとからのアプローチも近い登りやすい山。地元の子どもたちに限らず、もっと子どもたちに親しんでもらえるようになれば」
山小屋から下山している現在は、市内の酒蔵で蔵人として酒造りに励んでいる。