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【「グリーンオックス」オーナーシェフ宮下学さん】

駒ケ根市中沢中割

【「グリーンオックス」オーナーシェフ宮下学さん】

 駒ケ根市の中心商店街の一角に店を構える高級ステーキ店「グリーンオックス」。1984年の開店以来、客の目の前でステーキを焼く対面スタイルにこだわり続けている。
 「お客さまがじいっと見ていらっしゃるわけですから、素材も調理の腕も、すべてにおいてごまかしがきかない。緊張しますよ」
 生家は中沢で長く続いた食料品店。魚や肉などをはじめ、あらゆる食品を扱っていたが、創業からちょうど100年目に閉店した。
 「長男だったが、店を継ごうという気はなかった。食品に囲まれて育ったためか、料理には関心が高かったですね。高校を卒業する時には、料理の道に進むと決めていました」
 東京の調理師専門学校を修了し、都内のレストランに就職。その後帰郷し、伊那市のフランス料理レストランで働いていたところ「新しいスタイルのステーキ店を開店するからぜひ来てくれないか」とスカウトされて「グリーンオックス」に。23歳だった。
 対面式の店はほとんどなかったため、開店に当たり、同様のスタイルをとる上田市のステーキ専門店に修業に出た。
 「それまで料理人は作っているだけでいい竏窒ニ思っていたが、接客やお客さまへの気遣いなど、大切なことを教えられました。これは今でも大きな財産になっています」
 オープンの日。新しい店での初仕事は「緊張でひざから下はガクガク」だった。
 高級感と対面式が評判を呼び、店は毎日大勢の客でにぎわった。目の回るような忙しさが相変わらず続いていたある日のこと。
 「お客さまに追加注文を受けたんです。『かしこまりました』とついお答えはしたものの、忙しくて忙しくてとても手が回らない。しばらくしてから『申し訳ありません。やはりお受けできないのですが…』と申し上げたところ、お客さまが激怒されました。『できないんなら最初からそう言え!』と。まったくその通りで、初めにはっきりと申し上げるべきだったんです。お客さまに対する心構えを考え直す上でとても貴重な経験になりました」
 順調だった店も閉店の危機に直面したことがある。一名狂牛病ともいわれたBSE(牛海綿状脳症)問題の時期だ。
 「客足がぱったり途絶えてしまって『これでもうおしまいだ』と思いました。それでも何とかしようと、ステーキ以外の新メニューの開発に取り組んだんです。魚料理にね。思えば開店最初は魚もやっていたんです。その意味では原点に帰ったともいえるのかな。あの時期を乗り越えられたからこそ今があると思います」
 店はグリーンホテルの直営店として営業してきたが、3年前に独立。44歳でオーナーシェフとなった。
 「自分の店になったというのは新鮮な気持ちでしたね。人間の心、気持ちのあり方というのは一晩でこんなにも変わるものかと自分でも驚いたくらいで本当に全然違う。この初心をずっと持ち続けたいと思います」
 グリーンオックスのほか、同じ建物に展開する居酒屋「味鍔亭」(みつばてい)、フレンチ食堂「びすとろミーシャ」の3店舗も経営する。
 「お客さまに楽しんで帰ってもらうことだけを考えています。有名店やフランスなどで学んでいない私は地元の人たちに育てていただいたと思っています。おかげで25年間も続けてこられた。昔揺りかごでいらっしゃったお客さまが今、成人しても来てくださる。年代、世代を超えたリピーターが多いのは本当にありがたくてうれしいことです」
 (白鳥文男)

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