みはらしいちご園を管理する羽広いちご生産組合の若手農業者
伊那市西箕輪
太田雅士さん(28)
伊那市西箕輪の高台にある「みはらしいちご園」。ハウスの中では今、赤く色づいたイチゴが食べごろを迎え、訪れる観光客たちを出迎えている。その園を管理する「羽広いちご生産組合」のメンバーは7軒の地元農家。男性スタッフは50代から60代が中心だが、その中に混じり、5年前からイチゴ栽培に取り組んでいる。
「苦労したけど、やっと慣れてきました。植物が相手なので、大学の時みたいに『今日はやだな』って寝ている訳にいかないです」と笑う。
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大阪府堺市出身。信州大学農学部の学生だった6年前、自身が所属していた研究室の教授に「現場を見ろ」と言われ、駒ケ根市内の農家でイチゴ栽培を経験。それがこの道に進むきっかけとなった。
当時は農学部の学生だったが、農作業などほとんどしたことがなかった。一から覚えることばかりだったが、自分で工夫しながら作業できることは面白かった。
イチゴ栽培をしよう竏秩B決意した。それから県の関係機関などに相談し、イチゴ農家を探す中で、みはらしいちご園が手を挙げてくれた。
ちょうどそのころ、いちご園ではハウスが一棟空いていた。話し合いの中で、自分でそのハウスを管理したいと申し出。そして卒業後、当時の組合長のもとで研修を積みながら、同園のスタッフとして働き始めた。
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しかし、与えられたハウスは1カ月半ほど手付かずの状態だったらしく、葉もつるも伸びっぱなし。病害虫も発生していた。
とにかく何とかしなければ竏窒ニ、思う一方、大学では病気や害虫にどの薬が使えるのかなんて学んでいない。そこで初めて、自分には何もできないことを痛感する。
「それまでは自分で何でもできるような気がしていたけど、そこで『自分は何もできないんだ』って気付きました。その時はとにかく必死で、いちご園の人に見てもらったり、お世話になった駒ケ根の人に聞いたりしながら対応しました」と振り返る。
また、ここは観光農園のため、イチゴ狩りに来る観光客にも対応しなければならない。 もともと人付き合いがあまり得意でなく、いまだに戸惑いを感じることもしばしば。栽培とは違った大変さを日々感じている。しかし、お客から返ってくる「おいしかった」の声は、何よりも嬉しい瞬間だ。
「そういう一言一言が力をくれます」
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3年前からはハウス2棟を管理するようになった。管理するイチゴの株は数にして9千株。一株一株と向き合う作業は単純だが、手をかけたイチゴが無事に成長していく姿を見られるのは嬉しい。
「一人で大地にぽーんと放り出されても、何ができるか分からなかったけど、ここの人たちはきちんと的確に、自分が納得するまで教えてくれる。周りでがっちりと支えてくれる人たちがいるのは、ありがたいです。栽培方法は毎年違うので、これっていうやり方はない。ただ、その年その年に合ったやり方を追求していければと思います。あと、そうはいっても同年代の人との収入の差はある。その差をできるだけ縮められるようにしたい」