箕輪町交通安全協会長を退任
箕輪町
小林交石さん
「大過なく終わってほっとしている」。今年2月末、2期4年務めた箕輪町交通安全協会長を退任した。
町安協との関わりは1988年、箕輪町交通安全協会の松島分会代議員になってから。当時は一分会の役員で、「まさか会長になることは考えもしなかった」という。松島分会長を務め、その後は町安協の副会長を2期4年、そして会長と、20年間に渡って交通安全活動に関わってきた。
街頭指導や全国交通安全運動の交通指導所開設、交通安全教室での指導、交通安全施設や資材の整備、道路環境の整備点検、会議など活動は多岐にわたる。火事は消防の仕事と思いがちだが、火災現場付近の交通誘導もある。日中でも夜中でも現場に急行。一杯飲んでいた日はタクシーで駆けつけた。
「年300日は安協の活動に出ている。大変ですよ。でも、会長の任に就いた以上はやってやろうという責任感もあった」。交通事故を1件でも減少させるため熱心に取り組み、「まず自分が交通違反をしないこと。絶対にゆずる精神」を常に心がけてきた。
「安協の制服を着て街頭に立っているだけでも、ドライバーは我々の姿を見てスピードを落としたり、シートベルトをすることがある。これだけでも事故防止につながる」
街頭活動は天気のいい日ばかりではない。雨の日、雪の日も当然ある。役員から、「雨が降ったら活動はどうするのか」と聞かれたこともあったが、「雨が降ったら事故はなくなるの?関係ないでしょう」。そう話し、皆で街頭に立った。
任期中で最も記憶に残るのは、箕輪町内で3件の死亡事故が発生した06年。事故が起きるたびに伊那署に専門的な立場で事故防止のための活動の助言を受け、執行部が夜間に広報車を運転したり、飲酒運転撲滅にも力を入れた。
伊那安協の中では箕輪町にだけある小学生対象の交通少年団では、団長として活動。「子どもたちが安全運転を呼びかけるとドライバーは聞いてくれる。大事な活動」。子どもたちには自分自身が絶対に事故に遭わないこと、友達に交通ルールを守るよう話すことを教えてきた。
会長職は退いたが、伊那安協副会長、町緑十字会副会長、長野県交通安全協会評議員など任期が残っている職もある。4月4日には、長野県交通指導員に委嘱される。町安協の活動に協力参加する立場だ。「結局安協の仕事は終わらないね」。
これからも交通安全のため活動する日々。強く呼びかけたいことは、「心のゆとりを持つことが絶対大事。慌てると周囲が見えない。これだけです」。(村上裕子)