【警察功労で瑞宝単光章受章 内山寿さん】
伊那市山寺
危険性の高い警察業務に長年従事して多くの功労を重ねたとして今月、瑞宝単光章を受章する。
篠ノ井町(現長野市篠ノ井)で7人きょうだいの末っ子に生まれ、5歳で父を亡くした。
「苦労したせいもあって、世のため、人のために役に立つことをしたい竏窒ニ警察官を志した」
20歳で警察官となり、松本署を振り出しに県内各地で勤務。主に刑事畑を歩んだ。
若い時は暴力団員に短刀を突きつけられたことなどもあったが、経験を重ねるにつれ、だんだんと度胸がついてきた。
「昔は今と違って刑事にはなりたくてもなかなかなれなかったもんだ。普通は10年以上の経験が必要だったし、上司が適性を認めてくれなければ駄目だった。それだけに、仕事は大変だったな」
賭博の現場に踏み込んで修羅場になったこと、日米安保闘争の警備に駆り出され、国会議事堂の地下室でごろ寝したこと、温泉街ではけんかや泥棒が絶えず、土、日曜日も祭日もなく捜査に駆けずり回ったこと竏秩B
「今思えば懐かしいような気もするが、当時は死に物狂いでただ懸命にやっていた」
岡谷署勤務だった時のこと。走って来る1台のバイクを見て、特に何が不審というわけではなかったが何となく気になり、その場で止めて職務質問した。
「荷台にあったバッグを調べると、中にはひもで縛った5、6本の瓶があった。これが何と火炎瓶だったんだ。時刻は午後2時30分ごろ。閉店間際の銀行に押し入るつもりで店を狙っていたんだよ。どうして止めたか自分でもよく分からんが、とにかく未然に防ぐことができて本当によかった」
戦後の食糧難から食料統制が続いていたころにはこんなことも。停止を命じた2台のトラックが止まらずに走り去ってしまった。駅前のタクシーをつかまえ、勘で行方を探したが姿は見えず。あきらめかけたころ、塩尻峠の登り坂でようやく発見。タクシーで追い越し、細い道をふさいで停車させた。
「積荷を調べたら、30キロ入りの米袋が荷台にぎっしり。数えたら200袋以上もあった。闇米だよ」
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39年務めて60歳で定年退職。その間の所属長、本部長表彰は84回を数える。退職後は中南信運転免許センターで11年間法規の講師。現在は伊那市交通安全指導員会長を務めている。7期目。
「長年苦労してきたが、少しは人のためになったという自負もある。どんな道でもそうだろうが情熱、勇気、辛抱が大事だ。せっかく得た経験だから、世のために生かしていきたいね」
(白鳥文男)