駒ケ根警察署大草駐在所主任、笠松大二巡査部長
中川村大草
3月下旬、大草駐在所に着任、1カ月を経て「自然が豊かないい所に来たというのが第1印象。役場や消防署などあいさつ回りをしたが、親切で、住み良さそうだ。隣組の皆さんも良くしてくれる。道で会えば、向こうから声を掛けてくれて、本当にうれしい」
岡谷市生まれ、大学卒業後、民間企業に就職したが、親の希望もあり、長野県に戻り、警察官に応募。松代警察学校で半年間研修した後、初任地の木曽警察署で交番勤務に「やること、成すこと、何もかも初体験。だだ仕事をこなすだけだった」。木曽警察署は当時迂回路なしの1本道だった国道19号を抱え、ひとたび正面衝突などの大事故が発生すると、事故処理に時間がかかった。
定期便のトラック運転手は事情がわかっており、理解してもらえたが、行楽客はイライラし、不満をぶつ掛けられたこともあったとか。「もう1本迂回路があれば、いいのにと思った」
この後、長野中央警察署に、善光寺の門前、城山交番に勤務した。「昼間は参拝者でにぎわい、すりや遺失物も多く、落し物もどっさり届いたが、夜はにぎわいは権堂に移り、静かで助かった」。
豊科、穂高交番勤務に続き、駒ケ根署の駅前交番へ。保育園児と小学生の子どもを伴っての赴任で、送り迎えなどでほかの父兄と交流があり、住民の輪の中に入りなじめた。 高遠の藤沢駐在所時代に、観桜期に中学のグランドに駐車できないことがあり、車列が駐在所までつながったことも。高遠城址内の交番にも勤務「ピンクがかった色は見事だった」高遠町には4年勤務し、4シーズン、天下第1の桜を楽しんだ。
この後、飯田市上郷に住んで高森町駐在所に通った。「高森町は飯田市のベッドタウンで人口が増加し、振興住宅地が増え、人間関係が希薄で事件、事故が多かった」と振り返る。
「大草は桑原や小渋ダムと奥が深い。歩いて道を覚え、村内の地理をしっかりと頭に入れたい。巡回連絡で家庭訪問し、村民と顔なじみになり、地域になじんで仕事をしたい」。(大口国江)