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花ろまん39牡丹(ぼたん)

王者の風格、富貴花

花ろまん39牡丹(ぼたん)

 「牡丹花は咲き定まりて 静かなり 花の占めたる位置のたしかさ(木下利玄)」。原産地の中国では「花王」、日本では「百花の王」と呼ばれる富貴花、牡丹。鮮やかな濃赤色の「太陽」と、純白の「白神」の咲き乱れた様は能「石橋(しゃっきょう)」の1シーンのようで、風情ひとしお-。今回は伊那市高遠町山室の牡丹寺として有名な遠照寺(松井教一住職)を訪ね、今を盛りと咲き誇る牡丹の銘花、珍花について、松井住職からお話を聞いた(大口国江)
◇「花の色、香、形どれをとっても最高の花」
 同寺の牡丹は松井住職の母、智恵子さんが1983年に3株植えたのが始まり。その後、毎年株を増やし、現在は160種類、2000株が広い境内を彩る。紅、桃、紫、黒、白、黄色とほとんどの色があり、単弁、八重、千重、万重と花弁数もいろいろ。花形は抱え、半抱え、獅子咲き、平咲きと咲き方も多彩だ。
 5月下旬から咲き始め、6月初旬まで楽しめる。
 松井住職は「香り、色、姿、どれをとっても最高。まさに花王。朝日が昇る時、山の端に日が入る時は花の色が冴え、花びらもしゃんとして、1番きれい」と話す。
 ◇牡丹の歴史と芍薬(シャクヤク)
 「立てば芍薬、座れば牡丹」と美人の形容詞にされる、牡丹も芍薬と同じボタン科ボタン属。牡丹は落葉低木で芍薬は草。牡丹は開花後、茎が木化して、冬季間も枯れずに残るが、芍薬は地上部は枯れる。
 牡丹は奈良時代に中国から渡来した。弘法大師が持ち帰ったという説もある。江戸時代に大ブームが巻き起き、専門書「牡丹名寄」が出版され、300種類の記載があった。
 牡丹の国内最大の産地、島根県大根島では、江戸時代に全隆寺住職が静岡県から薬用として持ち帰り、境内に植えたのが始まり。それが島内の農家に普及し、研究し新品種を作り出した。
 1955年、成長が早い芍薬の苗に牡丹の芽を継ぐ技術が開発されたのをきっかけに、苗の大量生産が容易になり、大根島の牡丹は全国で栽培されるようになったという。大根島で作出された銘花も多く、「島の司」「島錦」など名前に「島」がついている。
 新品種の作出は最初は中国、続いて日本、20世紀に入ると、欧米でも行われ、黄色の「ハイヌーン」「金帝」、桃色系獅子咲きのラインエリザベス」などの名花が誕生している。
◇「獅子に牡丹」は能「石橋」が起源か
 「獅子に牡丹」は取り合わせのよいものの例えに使われ、獅子はイノシシとみなし、イノシシ鍋は牡丹鍋と呼ばれる。
 獅子と牡丹の取り合わせは能「石橋」に登場する。
 能「石橋」とは、仏跡を訪ねて入唐した寂照法師は清涼山で、石橋を見た。自然の流れが岩を貫き、数千丈の深い谷に架かった石橋の向こうは文殊菩薩の浄土。しばらく拝んでいると、文殊が可愛がっている獅子が現れ、満開の牡丹の中で狂い舞った-という豪華、絢爛の大曲。
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花ろまん39牡丹(ぼたん)

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