【写真家 木彫家 牧田博江さん】
1924(大正13)年に父が興した「マキタ写真館」を、東京での修行を経て20歳で受け継いだ。父とともに好きな仕事に励んだが10年後、父が亡くなってしまう。父と一緒に植えた思い出のイチイの木も、時を同じくして枯れてしまった。
「枯れた木を見ていたら、飛騨高山の一刀彫りが頭に浮かんできてね。木彫はやったことがなかったが、なぜか大黒様を彫ろうと思った。あれが原点だ」
その後しばらくは我流で彫っていたが、伊那を訪れた指導者に教えを受ける機会があった。
「一番勉強になったのは木の選び方。材料の木は硬かろうが軟らかかろうが太ければ何でもいいと思って使っていたが、その時に北海道産は木目が細かいとか、イチイはつやがあるとか、多くの知識を学ぶことができた」
もともと絵やデザインが好きだったこともあって木彫の奥深さにとりつかれ、仏像、道祖神、だるま、風景、人物など、さまざまな作品の制作に熱心に取り組んだ。
ある時、龍光寺(伊那市狐島)に水子地蔵を贈ったところ大変に喜ばれたことから、それ以降、苦労して彫り上げた作品を図書館などの市の施設や神社、寺などに惜しげもなく寄贈してきた。
請われて伊那公民館の木彫講座の講師を務める一方、伊那木彫クラブを設立し、木彫の魅力を広める活動に取り組んだ。
「木彫は簡単にできるもんじゃないから、それだけ出来上がった時の喜びは大きい。数限りなく作品を作ってきたが、望まれれば差し上げる。飾って喜んでくれるのがうれしいからね」
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写真家としても、10年に1度ずつ、主に伊那谷の景観をテーマとした個展「ふるさとの四季」を開いてきた。毎年元旦には西箕輪与地に出掛けて行き、仙丈岳の頂部から昇る日の出を撮影する。
「かれこれ30年にもなるかな。ポイントを決めて撮るんだが、10メートル違っても作品は変わってくる。ある年など、考えたイメージと違うことに日が昇り始めてから気が付いて、慌てて三脚を持って移動したこともある。まあ何しろ魅力的だね、仙丈岳は。伊那の一番の象徴だ」
個展は今年で4回目の開催。終了後、前回に続いて作品すべてを市に寄贈した。
「今の伊那図書館ができる時に建設委員会の事務局を務めたのだが、文化振興のためにもぜひ館内にギャラリーをつくってほしいと掛け合った。それが認められて今の広域情報コーナーができたんだ。いつかここで作品展を開きたいと思っていたが、古希の節目に当たる今回、ようやく希望がかなったよ」
(白鳥文男)