風土がはぐくむ地場産業
木曽屋社長 熊谷和寛さん
澄んだ空気、清らかな水、広がる田園風景…。環境に恵まれた、伊那市高遠町の三峰川沿いに、麺(めん)類総合メーカー「木曽屋」は建つ。
県内で契約栽培したソバを石うすでひき、南アルプスからの伏流水を使う。自動製麺機を使用しながらも手打ちの味を生かした手法から生み出される商品は、信州そば品評会で農林水産大臣賞、食糧庁長官賞、農林水産省総合食料局長賞、県知事賞などを連続受賞する。1969年には皇太子殿下へそばを献上している。
機械製麺を手がける企業はコスト面などから外国産そば粉を使うところが多く、地元産にこだわるのは全国でも数少ない。
また、地域振興を目指して取り組む雑穀アマランサスなども積極的に活用する。
ただもうければいいではなく、地域振興を考えながら歩んできた。地場産業として、30年をかけて確立した「木曽屋のブランド」に迫る。
株式会社木曽屋
■本社/伊那市高遠町上山田78■創業/1955(昭和30)年9月■資本金/2000万円■従業員/43人■TEL/0265・94・2323■FAX/0265・94・2330
素人集団からの出発
1955(昭和30)年、父・清さん(94)が材木屋からそば屋に転換、創業した。
清さんは木材出荷のため、高遠町の三義農業協同組合にちょくちょく出入りしていた関係で、農協から「作わなくなったそうめん作りの機械(練り機、製麺機、切り出し機)を買ってくれないか」と話を持ちかけられた。とりあえず購入したが、しばらくの間、材木屋の片隅に眠っていた。
そんなとき、のちの総理大臣(60縲・4年)故池田勇人氏がお忍びで高遠町へ花見に来ることになり、当時の原義次町長から「そばを食べさせたい。そばを打ってくれ」と頼まれた。全くの素人だったが、地元産そば粉を地域住民から集め、そうめん作りの機械を使ってそばを振る舞った。その後も度々、そばの注文が入るようになった。
一方、日本復興の思いから、本業の材木屋で、戦争から引き揚げ、働く場がなかった地元青年20縲・0人を雇ったが、人件費がかさんで赤字経営に。「このままではだめだ」と材木屋を廃業し、55年9月、そば屋に転換した。
従業員は素人ばかり。そばを作ってもつながった麺ができず、ばらばらと切れ、失敗の連続。研究を重ねる日々が続き、商品化するまでに3縲・年を要した。それでも本物を求め、妥協することなく、基盤を固めてきた。
69年、工場を拡張し、南信で初めて自動製麺機を設置。当初は乾そば、生そばだけだったが、そば作りを継続するための手段として、生ラーメンや焼きそば、うどんなども始めた。
ソバは7月末縲・月上旬に種をまき、10月中旬縲怏コ旬に収穫する。1年分の玄そばを仕入れるため、同時期に生産者へ支払う現金が必要となる。乾そばの場合、そばを作って出荷し、現金収入になるのは3縲・カ月先。生産量を増やせば増やすほど資金が回らない状態になる。玄そばを買うためには、何かを始めなければ、そばが作れないと判断し、ゆで麺、蒸し麺の製造ライン一式をそろえた。
86年には職業能力開発促進法に基づき、熊谷社長が機械製麺(乾麺製造作業)技能士、弟で常務の熊谷友宏さんが機械製麺(生麺製造作業)技能士の認定を受けた。
【地域貢献できる仕事に誇り】
「木曽屋のブランドを作るまでに30年かかった。軌道に乗るまでの道のりは並大抵ではなかった」とこれまでの歩みを振り返る。
64年、高校を卒業し、木曽屋に入社。96年、50歳で社長を継いだ。
先代のときから「事業はもうけるためでなく、多くの人たちを幸福に導くため」「正直、誠実、善意と明朗、公平、親切、行き届いたサービスがモットー」を貫いている。
驚くことに、木曽屋に営業は一人もいない。それだけ商品の品質に自信を持つ。
若いころ、東京へ営業に出かけ、乾そばを持って問屋を回った。「おいしいけど、値段が高い。これでは売れない」と行く先々で断られた。
価格は、外国産に比べて国産は4縲・倍も高い。さらに、信州そばは長野市周辺で作られるものと思われていたために、高遠のそばは「信州そば」として通らなかった。
「営業しても無理。他業者では出来ない手間ひまかけた安心・安全の商品を作って、相手が〃ほしい〃と言ってくるまで頑張ろう」と日本一のそば屋になることを決意。不安はなかった。
全国製麺協同組合、県麺業協同組合、県そば協同組合に加入し、農林水産大臣賞をはじめ、数々の賞を受賞。
実績を積むと、徐々に問屋が買い付けに来るようになった。
取引先の要望にも応じ、3年ほど前から、「平出農場」「久保田農園」など生産者の顔が見える商品を扱っている。
常に消費者ニーズを把握し、こたえられる技術を持つ。「野沢菜そばはできませんか」。そんな一人の意見にも耳を傾け、商品開発を手がけ、商品化している。
従業員には「そばを食べると幸せになる麺作り」を促している。
品質に自信を持つこだわりのそば
「みずみずしさ」「滑らかさ」「のどごし」「しこしことした歯ごたえ」…。そば作りには自動製麺機を使うが、手打ちそばの味を生かしている。
そば作りでこだわるのは「原料」「水」「製造技術」。そして、自然と気候風土がはぐくんだふるさとの味。
◆原料
そば粉は伊那市高遠町・長谷のほか、飯島町、八ケ岳、安曇野など県内産にだわる。品種は「しなの1号」で、胚乳中心部の一番粉(さらしな粉)を使う。
そば粉の価格は外国産に比べ、地元産は高い。飲食の手打ちそば屋が地元のソバ栽培農家から玄そばを仕入れることはあっても、機械製麺ではコストやそば作りのノウハウが必要になることから難しいという。栽培農家に「地元産そば粉を使いたい」と注文を依頼した際、「うちのソバは高くて機械屋さんには買えませんよ」と返事が返ってくるほど。しかし、地元栽培のソバを使うことは、遊休荒廃地の活用、地産地消、観光面での誘客など地域の発展につながると考えてきた。
同社は製粉会社、加工会社、大学など幅広いネットワークを活用し、生産者に対してソバに関する最新情報を提供。味が良く、収穫量を上げるため、土壌に合った栽培方法も研究する。
契約栽培農家の一人、平出輝治さん(71)=諏訪郡富士見町=は、八ケ岳連峰のすそ野に広がる標高1000メートルの畑40ヘクタールで、ソバを栽培。そのうち木曽屋へは8ヘクタール、玄そばで年間6縲・トンを出荷している。
「平出農場 八ケ岳そば(石臼挽き7割)」の商品名で売り出され、東京のスーパーがソバ畑の視察に訪れたことも。
「火山灰土のため、石灰を定期的に入れるなど土壌づくりから気を配っている」と収量の上がるソバ栽培を勉強している。
◆水
創業当時、木曽屋は高遠町多町にあったが、そばに適している水を求め、80年、現在の上山田へ移った。
水は南アルプスの伏流水。自然塩を含んだ高ミネラルの天然水で、地下65メートルからくみ上げてそば作りに使っている。
◆製造技術
手打ちの味を機械に生かそうと技術開発に力を入れる。
商品は、そば粉を5縲・割使ったそばをそろえる。そば粉の含有量が多ければ多いほど、そばは切れやすい。手打ちに比べ、機械であればなおさら。製麺機メーカーに対し「そば粉が多くても切れないように」と注文を出し、独自の工夫を凝らした設備を整えている。
1日の麺類生産量は2万食。
そばの場合、石うすでひいた地元産そば粉に小麦粉、水、食塩を加え、ミキサーでかき混ぜる。ゆでたとき、そばが切れないようにするには職人技がいる。練った麺は熟成させ、製麺し、乾燥させる。乾そばは自然乾燥に近づけるため、およそ3日間、長時間低温熟成させるのが特徴。そのあと、袋詰めして出荷する。
長年にわたるデータを持ち、「ほかでは木曽屋と同じ味は出せない」と自信を持つ製造法を確立した。
「毎日が研究、みんなが研究員」
新商品ができると、従業員全員で試食し、味などについて意見を出し合う。それを工場長や製造部長がまとめ、改良を加える。さらに第三者にもモニタリング。「うまい」という言葉より欠点を出してもらうことで、商品の質を高めている。
◇ ◇
ソバは栄養バランスが取れた食べ物で、健康食品としても見直されている。
ビタミンB1、B2などが多く含まれる。ビタミンの一種、ルチンには毛細血管の強化、血圧降下の働きが、コリンには肝臓に脂肪がたまるのを防ぐ効果があるといわれている。
消費者ニーズにこたえる商品
商品は120種類。主要製品のそば(乾・半生・生)をはじめ、雑穀アマランサス入りそば(同)、野沢菜そば(乾・半生)、桜そば(半生・生)、ゆでうどん、生ラーメン、チャーローメン、焼きそばなどがある。麺の比率は乾3割、半生2割、生5割。
そばは「絵島八割蕎麦」「入野谷郷そば」「高遠からつゆそば」「権兵衛峠そば」「八ケ岳地粉そば」「安曇野高原そば」など産地ごとに異なる味を生かす。
出荷先は県内32縲・8%、関東・関西を中心に県外62縲・8%。量販店、大手百貨店、業務用(食堂ほか)などに卸している。
◆商品開発「アマランサス入りそば」
雑穀アマランサスによる地域振興を目指す伊那商工会議所の呼びかけで、伊那地域アマランサス研究会のメンバーに加わり、商品開発を手がけている。
アマランサスの実や葉は栄養価が高く、たんぱく質、カルシウム、鉄、ビタミンなどを多く含む。機能性では、コレステロール低下作用などが報告され、「スーパー雑穀」として注目されている。
アマランサス入りそばは、地元産そば粉にポップしたアマランサスの実を練り込んだ。ローラーで麺を伸ばす際、粉がぼろぼろと落ちるなど苦労もあったが、練り時間や加水を工夫しながら、約1年間の研究期間を経て、07年4月、商品化した。もちもちした食感で甘味があり、香ばしい。
現在、アマランサス入りローメン、生ラーメンを開発中。いずれアマランサス入りスパゲティー風の麺作りに取り組み、地元で取れた雑穀を広めていきたいという。
さらに「地産地消」を進め、地元産小麦粉を使った商品も広く国内外に出荷したいと展望する。
工場長・北原稔生さん(61)
92年に入社し、95年からそば粉・小麦粉に水を加えて攪拌(かくはん)する作業を任されている。お客さまに「おいしいそばだな」と言われるように作っている。
季節や天候、また1日の時間帯によっても、気温、湿度は変化する。当然、加水率も変わってくる。
湿度が高いときは全体の27%弱で、冬場は30縲・1%。産地によっても異なる。
加水はこれまでの経験から手の感触で、練り始めてから3縲・分のうちに決める。加水の失敗は修正が効かないため、神経を使う作業。
攪拌機は3台ある。攪拌の速度は一定だが、機械の大きさの違いから回転数が異なり、そば、うどん、生ラーメン、焼きそばなど麺の種類、生産量によって使い分けている。