氷の記憶
上伊那地域は9日、この冬初めての本格的な雪に見舞われた。
寒さが増し冬も本番になると、ある記憶が頭の片隅をよぎる。
長野県が昭和33年に発電や農業用水の供給を目的に建設した高遠ダム。凍った湖面は、9日の雪で一面雪化粧した。
標高760メートルのダム湖は毎年全面結氷していて、今年の冬は平年並みの1月4日だった。
エメラルドグリーンに輝く高遠湖の氷。
実は、ダム建設当時の昭和33年頃は、この高遠湖でスケートが盛んに行われていた。
「中学3年の時にクラスマッチをやりましたよ。400メートルのトラックが3つ4つ出来ていました」
高遠町歴史博物館の北原紀孝館長は振り返る。
記憶は、これだけではない。
「笠原の六道の堤がスケート場になりましてね、高校の頃は大会をやりました。当時上伊那農業高校が強くてね」
伊那市美篶笠原のため池「六道の堤」は、1851年に新田開発を目的に作られた。
現在は、修繕工事が行われている。
ここでも冬になるとスケートが行われていた。
ピークは昭和30年代で、当時は上伊那の選手権大会や市民体育祭などが盛大に開催されていたという。
当時、上伊那農業高校スケート部を立ち上げた伊那市日影の矢野新一さん。
県大会で優勝、上伊那選手権で3年連続優勝するなど当時の上伊那のスケートを引っ張った。
「氷が張ると思い出しますよ。当時は体も動いたし、夏は間があればずっとランニングしたりして体を鍛えていたから。今では考えられません」
そして、この六道の堤では、さらに興味深い氷の記憶が…。
「当時は冷蔵庫が普及していなかったから、氷が厚くなると大型のこぎりで切り出していたね。そういう姿を見ながらスケートをしていました」と北原館長は話す。
その氷を切ったのこぎりも見つかった。
伊那市美篶の矢島信之さんは、「こののこぎりは、もともと山で使っていたもの。末広の人たちが氷を切って氷室に入れ、私たちは、切り出して波を打っている湖面で滑ったことを思い出します」と、懐かしそうに振り返った。
◇ ◇
高遠湖は、岸付近で氷の厚みは7センチほどで、中心部分はもっと厚く張っている。
温暖化傾向で最近はスケートも下火になっているが、冬になると遠い日の記憶がよみがえる。
高遠湖を眼下に望む歴史博物館の北原館長は言った。
「今すぐにでも滑りたいよ」