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作業療法士
箕輪町三日町
中村賢二さん(37)

青年海外協力隊の任務終えパキスタンから帰国

作業療法士<br>箕輪町三日町<br>中村賢二さん(37)

 03年7月、青年海外協力隊で作業療法士としてパキスタンに渡った。国立の身体障害者総合病院リハビリ部門強化のための作業療法部門新設と患者の治療のため、パキスタンへの初の作業療法士派遣だった。
 「思っているほど危険な国ではない。とても穏やかで人との距離が近い。日本よりよっぽど温かいつきあいをしている」と印象を語るパキスタンでの2年2カ月の任務を終え、9月中旬、帰国した。
 日本福祉大在学中、「ソーシャルワーカーより、直接患者と接するセラピストのほうが向いている」と感じ、国立療養所箱根病院付属リハビリテーション学院に入学。作業療法士の資格を取得した。
 駒ヶ根市にある昭和伊南総合病院のリハビリテーション科充実のため作業療法部門立上げにかかわり、6年勤めて退職。「作業療法は何ができるか、視野を広めたい」と青年海外協力隊に志願した。
 パキスタンは10人に1人が障害者。「どうかかわったらいいか、考えさせられた」。国家予算も支援もなく、自助グループをNGOで立ち上げ、頑張り始めたところだという。
 病院に通ってくるのは全体のわずか1%。「まず1%でも作業療法の必要性をアピールしないといけない」。作業療法の分野は、精神・発達・身体・加齢の障害。パキスタンでは発達障害、身体障害の治療が主で、道具も部屋もない環境下で、子どもと脳卒中の患者の訓練から始まった。
 手が不自由な子に自助具を着け食事ができるようにするため、部屋の片隅に金づち、のこぎりなどを用意してもらい、自助具を作った。1年間は道具を作ってアピールし、使い方を教え、訓練することに時間を費やした。
 パキスタンの人は「新しいもの好き」。見たことがないことをやってもらえるとうれしく、治療効果の説明も新鮮。「丁寧にみてくれる-と、すぐに受け入れてくれる患者が多かった」という。
 最初は会話にも苦労したが、話せないときはイラストを使い、「絵が描ける人が来た」と評判を呼んだ。
 2年目は、作業療法のプレゼンテーションをし、NGOとも関係をもった。作業療法室がないため部屋の準備もした。
 「それが大変。日本人皆が几帳面に感じるくらい、向こうの人はおおざっぱ。物事は『ノープロブレム』で、できるまで半年、1年はかかる」。急かすことが日課だった。「ぼくが帰るから早く作って-と言っていることが、帰国1カ月半くらい前にようやく実感したみたい。時間の流れの感じ方が違う」
 結局、部屋準備のため滞在を2カ月延期。帰国当日も、「クーラーの取り付けで部屋はめちゃくちゃ。掃除で大変だった」。苦労もあったが、帰国後してみると、イスラム教の1日5回の祈りの合図が聞こえないのがさみしく感じるという。
 「すごくいい経験になった。自分の背景と違う人、社会の中にいるといろんな発見があった。外から来た人は大事にするということがイスラムにあって、すごく大事にしてもらい、学ぶところも多かった。経験を今後に生かし、作業療法にかかわっていきたい」

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