水墨画を描く
箕輪町松島
小松平さん(66)
昨年12月に完成した自宅のアトリエ。夜中目覚めると、「本格的に水墨画を始めたので、いつでも描けるようにしてある」というそのアトリエに一人こもる。
「雪松」と題した迫力ある50号の作品をはじめ松や白樺、渓流のほか、パイナップルやイカなど食材も描いた作品。1月から3月までの短期間に描き上げた11点を、アルプス中央信用金庫箕輪支店ロビーに31日まで展示している。
小さいころから絵が好きで、中学から高校にかけて県展で入賞していたほど。高校時代は美術部でさらに絵に打ち込み、「高校の時にだいぶ描けるようになって、三度の飯より好きだった」。先生から芸大進学を勧められたが、家業を継がなければならないため親に認めてもらえず、絵の道を断念した。
家業に専念。その後、小松造園土木を起こし、社長として多忙な日々を送ってきた。しかし絵が忘れられず、「ある程度年をとって時間ができたら」と、思いを温め続けてきた。
14、15年前、岡谷市の現代水墨画の愛好者でつくる会に所属し、念願の絵を再び始めたが一時中断。「どうしても絵をやりたい」とアトリエを作り、今年1月に岡谷市の「墨絵の会」に入り、月2回通っている。
学生のときは水彩画で、水墨画は初。水と墨との世界で、墨一つで色を感じる。濃墨、中墨、淡墨と、それぞれに2種類ずつで計6色。紙の白さを生かして表現するという。
「墨でいろいろ感じろと言われてね。墨と紙の白の全7色を感じるように描かないといけないけど難しい。こんな難しいと思わなかった」
習いはじめのころ、造園業で主に松を手掛けることから、「松を描きなさい」と先生に言われた。教室で与えられる課題も描くが、松を熱心に描き、わずか3、4年で100号を描くほどの腕前になった。再開して10数年ぶりに会った人に、「“松の小松さん”で覚えてた」と言われたくらいだ。
「15年の空間を埋めようと思って、一生懸命やってますよ。絵は構図が大事。先生の言っていることを聞いてるだけではだめ。先人の描いたものを勉強したり、本を読んだり、展覧会も見に行かないとだめ」。絵に対する姿勢は厳しい。構図という点では、石を据える、木を植えるという造園の仕事や生け花も生きているという。
先日も、上野美術館の展覧会を見に行ってきたばかり。「勉強しないと。人の倍以上見て、人の作品から感じて、自分に生かしていかないとだめ。努力も必要ね。負けず嫌いだし、やるって言ったらやるほうだからね。先生もほめてくれたよ」
今年8月、緊急入院した。「10日ばか虫の息だったよ。助かると思わなかったと言われたけど助かった」。1カ月後に退院。5キロ落ちた体重も3キロ戻り、少しずつ体力もついてきた気がするという。
「どうしてもやり過ぎるけど、仕事は運動程度と思ってほどほどに。助かったからね、絵はもっと一生懸命に。松を主流に、特に駒ヶ根にある長年思ってきた松をこれから描きたい」
(村上裕子)