【カメラリポート】芝平石灰道を歩く
石灰石焼いた痕跡残る
土壌改良剤として田畑などで活用されている石灰。豊富な石灰岩を有する伊那市高遠町の芝平では、石灰を作っていた痕跡が残っています。
芝平出身の北原厚さん。過疎により、集団移住で芝平の土地を後にしました。
6月3日は、芝平の歴史を北原さんから学ぼうと、伊那谷自然友の会が現地を訪れました。
北原さんの案内で、芝平の山に入ると、石積みが見えてきました。
芝平地域は石灰岩地帯
芝平は、中央構造線の外帯に位置し、石灰岩が多く取れます。石灰は、この石灰岩を焼いて作られます。この遺構は、石灰を焼いた窯の名残なのです。
出来上がった石灰は、馬の背に乗せ、諏訪地域へ運びました。
芝平で取れる石灰は高遠石灰と呼ばれ、家や土蔵の白壁や、田畑の土壌改良剤として活用されてきたのです。
この日は、芝平から諏訪に続く石灰を運んだ道を歩きました。
北原さんは、10歳の頃、馬と一緒に石灰を運んだ記憶があります。記憶を頼りにその道を探したところ、きれいに道が残っていました。
「石灰を俵状にして、2俵を馬の背につけて茅野まで1日1往復運んだんですね。芝平の人の馬が一日100頭も山を越したといわれています。それくらい生産物を諏訪に運んだんですね。」
現在も石積みのこる
現在も、窯の石積みや、建物の基礎が残る、芝平の石灰工場跡。かつては、人馬でにぎわった場所でした。
伊那谷自然友の会の明石浩司さんは、この遺跡の重要性を説きます。
「今の常識で考えるとあのような山の中で人が生活していたというのは想像を絶するところがあります。ところが何百年もの間、芝平の人たちは住んでいました。どうやって住んでいたのかというのが、石灰採掘の跡を見ると分かります。歴史を学ぶという意味で非常に高い価値があると思います。」
ジオサイトとしての価値についても、「ただ、単に珍しい鉱物があるという意味のジオサイトではなくて、何百年という暮らしを支えた資源であるという意味で、地質的な価値が高いと思いますね」と話していました。