全国障害者スポーツ大会で優勝を狙う
中塚誠さん(45)=宮田村
5日から岡山県で始まる第5回全国障害者スポーツ大会陸上競技の60メートル走と200メートル走に出場する。200メートルの大会記録は30秒8。自身の記録は31秒0。自己ベストで大会新を出し、優勝を目指す盲目のランナーだ。
1995(平成10)年の神奈川大会では陸上400メートル走と水泳50メートル自由形で、1997(昭和62)年の沖縄大会では陸上立ち幅跳びと水泳50メートル平泳ぎで、大会新での優勝など好成績をおさめている。
目が不自由なため、レースにも練習にも伴走者が必要だ。細い紐を輪にして、その両端を持って走る。60メートルで10数秒、200メートルは30秒の全力疾走。選手が走りやすいように、伴走者はつないだ側の手をまったく動かさずに走る。200メートルではコーナーがあるため、伴走者が「イン、イン」というのを聞いて曲り、「3、2、1、ハイ」の声でコーナーから直線に移る。同じく「3、2……」でフィニッシュを決める。
選手の走力だけでなく、それ以上の伴走者の走力が必要。2人の息の合い方がカギを握るのだという。
目は見えなくても走る喜びは同じ
「僕は患者さんに伴走をお願いしちゃうんですよ」
宮田村で営む鍼灸院には陸上を始めスポーツで体を痛めた老若男女が多く集まる。自身がアスリートだということもあり、特に運動をする患者には、選手としての心理を汲んだ接し方になる。
「治療しながら『頼むね』って言われたら断わりにくいでしょうね」。そう言って笑うが、障害を抱えながらスポーツに励む気持ちが相手にも伝わり、伴走を引き受けてくれる例が多くなるのだろう。
20歳の誕生日を1カ月後に控えていた日、交通事故で両目に深い傷を負った。「いつか治る。いつか見えるようになる」と思い続けた。だが、治らなかった。鍼灸の学校で学び、自身の鍼灸院を開いたのが24歳の時。どうしても体を動かしたくて、最初は水泳から始めたが、高校時代を通じて打ち込んだ陸上への思いは冷めやらず、奥さんが運転するバイクの肩につかまって宮田村の田んぼ道を走った。子どもたちが成長すると、一緒に走った。走る距離が長くなり、速度も速くなった。今では、健常者と一緒に長野マラソンも走破する。
岡山の大会では、甥の会社員中塚圭さんが伴走する。上農陸上部で活躍する中塚陵太君は長男。ほか2人の娘さんも陸上選手だった。田んぼ道を伴走して一緒に速くなった。長距離・短距離、レース・練習を含めると伴走してくれる人は総勢60人近くになるという。
「伴走してくれる人がいるから、僕らは走れるんです。本当にありがたいことです」。こう語るが、中塚さんの伴走をし、その姿に勇気付けられながら成績を上げた選手も少なくない。
「目は見えなくても走る喜びは同じ」。紐の輪をつかんで疾走する姿は、大会成績のほかにも多くの物を生み出している。(毛賀沢明宏)