西駒山荘建設に尽力 孫が語る
唐木金弥さんの孫 好春さん
大正2年、1913年の中箕輪尋常高等小学校の駒ケ岳遭難を機に、伊那市の内ノ萱と天狗の集落の人々が建設した西駒山荘。建設に命を捧げた唐木金弥さんの孫が、当時を振り返りました。
4日夜は、内ノ萱公民館に地元住民など50人が集まり、唐木金弥さんの孫の唐木好春さんの話を聞きました。
唐木金弥さんは、西駒山荘の建設を進めた中心人物です。
大正2年8月、中箕輪尋常高等小学校の駒ケ岳集団登山で37人が遭難し、11人が亡くなりました。
この事故を受けて、登山口のある内ノ萱と天狗の集落の人々は、事故の翌年から資金の調達をはじめ、大正4年に山荘を完成させました。
西駒山荘の石室は、このときに作られたもので、現在も使用されています。
金弥さんは、長期にわたる山荘の建設作業での体の冷えから病気に倒れ、大正4年に60歳でなくなりました。
孫の好春さんは、母親から伝え聞いた話をしました。
中箕輪尋常高等小学校の遭難があった際、内ノ萱では、半鐘が鳴り響き、救援隊がひっきりなしに出入りしたこと。下山した生徒たちは金弥さんの家に泊めて介抱したこと。金弥さんが、自分の家のことより、山のことを優先していたことなどを紹介していました。
西駒山荘は来年度、石室部分を残し、建て替えられる予定です。
集会には、白鳥孝伊那市長も参加し、「建て替えに際して、全国から募金を呼びかけているほか、資材を皆さんに運んでいただくことも検討している。みんなの力で、内ノ萱の100年前の思いを100年後に伝えたい。」と話していました。