【カメラリポート】市川團十郎さん逝去の知らせに
ゆかりの中尾座に悲しみ広がる
肺炎のため今月3日に66歳で亡くなった歌舞伎俳優の十二代目市川團十郎さん。
ゆかりのあった、伊那市長谷の中尾歌舞伎保存会は、團十郎さんの死を悼んでいます。
8日夜、中尾座では、11日の農村歌舞伎祭に向け稽古が行われていました。
突然の訃報に、保存会のメンバーは、悲しみにつつまれています。
中尾歌舞伎保存会師匠の西村清典さんは話します。「我々としても本当に気の抜けたような気がします。入院なさったという話は聞いていて、心配はしておりましたけれど、まさか亡くなられるとは思いませんでした。ずいぶんと中尾歌舞伎でもお世話になりました。指導も受けましたし、ここに来てこけら落としに踊りを踊ってくれましたので。我々一同、本当に悲しく思っているわけです。」
中尾座のこけら落としに團十郎さんが来た
1997年、平成9年に新たに完成した伊那市長谷中尾座のこけら落としには、團十郎さんが招かれました。
この日、團十郎さんは、「松の緑」という祝いの舞を披露しました。
舞台挨拶で團十郎さんは次のように話しました。
「歌舞伎と申しますのは、日本の芸能の中でも世界に誇れる芸能だといわれております。その道にたずさわるものと致しまして、ご当地の若い方々を中心に中尾歌舞伎を催されているという話を伺いまして、本当にうれしく思っております。やはり、皆様方のお力があってこそ、私どもの東京とかそういう所でも歌舞伎が行えているのだとそう思っております。今後、ますます中尾歌舞伎を皆様方のお力で守っていただき、また育てていただければ大変うれしく思っております。」
かつらの職人・業者の仲介で実現
中尾歌舞伎保存会と團十郎さんとの縁は、團十郎さんのかつらをあつかう職人に保存会がかつらをお願いしたことから始まります。
保存会は、この縁を生かして、団十郎さんにこけら落としを依頼しましたが、当初は、断られました。
しかし、その後、職人や業者の仲介で、團十郎さんの特別公演が実現したのです。
『團十郎さんに縁のある場所として簡単に歌舞伎を投げ出せない』
メンバーは、『市川團十郎がこけら落としに来た芝居小屋』と広報し、芝居を続けてきました。
中尾歌舞伎の舞台上演の存続には、幾たびもの困難があったということですが、團十郎さんがこけら落としをしたこの場所で、歌舞伎を簡単に投げ出すことはできないという思いが、メンバーを支えてきました。
「團十郎さんは中尾座に歴代残っていく」
10日、農村歌舞伎祭の本番、西村篝顧問が、團十郎さんへのお悔やみの言葉をのべてから、中尾歌舞伎の公演を行ないました。
メンバーは、團十郎さんからパワーをもらった中尾歌舞伎を、精一杯続けていきたいとしています。
西村 寿会長は、「偉大な方なので、その方に来ていただいたということは、中尾座にとって歴代残っていくことだと思います。私達もそれを受け継いで、歌舞伎という伝統を守っていきたいと思っております。」と話していました。