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梨栽培の桃沢匡行さん

果樹栽培のかたわら、町の歴史、文化に造詣

梨栽培の桃沢匡行さん

 「梨づくり50年、今もって1年生、わからないことばかり。今年は天候に恵まれ、味も良く、収量も多い。こんなに良い年はめったにない」
 梨の名門「桃沢晴香園」の梨園は国道を挟んで西と東に展開する。約60アールに二十世紀梨、白鳥梨を中心、南水、新高など梨7種類とブドウを栽培する。1926年(大正15年)に植栽した県最古、樹齢80年余の二十世紀梨18本は今も現役。国内でも最古と思われる珍しい中国梨、慈梨(ツーリー)もたくさんの大きな実をつけ、存在感をアピールした。
 戦後、伊那谷で急激に広がった二十世紀梨の栽培だが、昭和60年代には黒斑病や価格の低迷を受け、栽培面積は減少傾向をたどった。が、近年、赤梨系にはない「さわやかな甘さ」が見直され、人気も復活した。
 同時に、父、匡勝さんが確立、全国に普及した木の性質を生かした整枝法「桃沢式盃状棚仕立て」も再び、脚光を浴び、二十世紀梨生産全国1の鳥取県や千葉県などから視察に訪れている。
 1933年飯島町本郷に生まれ。「梨産地づくりの父」として奔走する父親の背を見て育ち、千葉大学を卒業すると、プロのカメラマンの夢を捨て、果樹園を継いだ。
 69年、皇太子ご夫妻(現天皇皇両陛下)が同園で梨狩りをするという栄にも浴した。「皇太子殿下はよく勉強され、せん定など専門的な質問もあった。美智子妃殿下とも言葉を交わすことができた。大変名誉なことで、緊張した」と振り返る。
 果樹園の傍ら、町の文化財調査委員長、町郷土研究会会長を務めるなど、町の歴史や文化財に造詣が深い。大叔父、歌人で日本画家の桃沢茂春に興味を持ったことがきっかけ。 「茂春が描いたふすまを修復しようと、はがしたところ、下張りから遺稿や書簡が見つかった。橋本雅芳に師事、菱田春草とともに日本画を学び、正岡子規、伊藤左千夫と親交があり、雅楽に長け、てんこくの才能もあったことが分かった。惜しくも33歳の若さで伊勢の地で客死した。それほどの人物でありながら、地元では名前を知っている人はほとんどいない。茂春を入口に、近代短歌、近代絵画など研究の間口が広がってきた」。
 また、信州近代短歌の礎を作ったと言われる桃沢夢宅(1738-1810)は9代前の当主。京都の歌匠、澄月に師事し、香川景樹の歌論に共鳴、歌のやりとりをしているなどが分かり、夢宅を研究している兼清正徳さんと共著で「桃沢夢宅紀行集」を刊行した。
 ほかに飯島町郷土誌、写真集「飯島町の百年」に関わり、父、匡勝さんの業績を記した「産地づくりの父」なども発刊した。
 現在、入口でもあった桃沢茂春について調査、研究を進めている。

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