大震災から3年~福島の佐藤さんが思い語る
ふるさと 福島再生に向けて
東日本大震災の被災地、福島県伊達市から伊那市西箕輪に移住して再起を目指す、果樹農家の佐藤 浩信さんの現在の心境を聞く講演会が、25日夜、西箕輪公民館で開かれました。 「はっきり言うと、3年前からそんなに変わっていないのかなというのが、福島の現状じゃないのかな」 講演会には、地元西箕輪から15人ほどが参加しました。 佐藤さんは、福島第一原発から60キロほどの場所に位置する伊達市で、果樹を栽培・販売する伊達水蜜園を営んでいます。 家族を福島に残し、現在、単身で、伊那でも果樹栽培を行なっています。 講演会では、これまでの経過や、現在の状況、故郷・家族への思いを語りました。 福島県の新聞・福島民報を持参し、福島では、今も毎日、原発関連のニュースが一面で報道されている現状を訴えました。 「3年経ってはいるんですけれど、実際福島県の中では毎日のようにトップニュースで扱われています。しかし逆に言えば、原発の話題が福島県ではマンネリ化してしまっている。新聞のトップで見ても、またか…という感じで。汚染水がいくら漏れても、ああまたか…という感じで全然騒ぎにならなくなっている。精神的に麻痺しているという状況なのかなと。」 また、福島でのコミュニティのあり方に危惧感を抱いていると語りました。 「これから話すことは本当に言いにくいことです。伊達市からは自主避難でした。僕は福島県からの自主避難第一号です。伊達市に戻ると、僕は、逃げていった人間とレッテルを貼られるような形。いまだに。今後、福島の中でも、仮設住宅の人、避難した人、地元に残ってがんばった人とかって、コミュニティがどうなってしまうのか。今までは仲が良かった人たちも、今後どうなるのかというのが心配な部分。結構これが、根深く残るのかなと感じています。」 佐藤さんは、それでもふるさと福島を思い続けます。 「もう一度、福島に戻ったときのために、長野でなんとか力をつけたいな、と。6年後になるか7年後になるかわかりませんけれども、福島に戻ったときに、行政を動かせるような。そんな人脈をこっち、長野で作らせて貰って、戻ったときに福島の力になれればな、というのが、本当に今こちらでがんばるひとつのベースになっています。」 震災から間もなく3年。 ふるさと福島の再生にむけた佐藤さんの戦いは続きます。