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【3.11の今】原発事故で自主避難 母と娘の今

東日本大震災から3年

【3.11の今】原発事故で自主避難 母と娘の今
会津若松市1人暮らしの半澤勝子さん

福島県会津若松市で一人暮らしをしている半澤勝子さん。 東京電力福島第一原発事故で近くに住んでいた娘と孫3人が伊那市高遠町に避難し3年が経ちます。 勝子さんは「こんな老後になるとは夢にも思わなかった。人生で一番のんびりゆったり。これから仲良く生活していこうって思った時にこんなことになるなんて。」と話します。 勝子さんも避難を進められましたが、残ることにしました。 福島原発から会津地方まではおよそ100キロ離れていて放射能に不安を抱えながらも住民の多くは留まり生活を続けています。

伊那市高遠町山室に自主避難している半澤ゆかりさん

【3.11の今】原発事故で自主避難 母と娘の今
自主避難している半澤ゆかりさん

勝子さんの娘で3人の子どもとともに伊那市高遠町山室に移った半澤ゆかりさん。 東日本大震災が起こる1年前の3月15日に夫の祖玄さんを事故で亡くしました。 ゆかりさんは「私の中では夫から子どもたちを託されているという思いがとても強いので、たとえスッテンテンになっても子どもたちの健康を守ることのほうが自分にはやっぱり大きかった。生活していくには苦しくてもなんとかやれる。」と話します。 高遠町に移り住んでからは伊那養護学校の講師をしていて学校に通えない生徒のために自宅へ行き勉強を教えています。 亡き夫とともにチェルノブイリ原発事故の支援活動にあたっていたゆかりさんは放射能の恐ろしさをその体験から知っていました。 そのため会津を離れる決意をしましたが当初、母勝子さんの理解が得られなかったといいます。 ゆかりさんは「避難はとんでもないこと。みんな復興に向けてがんばっているのにとんでもない。なんであなたと子どもたちだけが逃げて自分たちだけの身を守ろうとするのかと言われた」と話します。 勝子さんは「生活が困ると思って、親だから最初はすごい反対した」と振り返ります。 ゆかりさんは子どもたちに人との交流の輪を広げてもらいたいと親子育児教室に参加しました。 高遠中学1年生で長女の、ひかりさん。高遠北小学6年生で次女の、響さん。 高遠北小学3年生で長男の祈抱くんの3人は高遠に来てから新しい友達ができましたが、おばあちゃんの勝子さんに会えないことが寂しいと口を揃えます。 勝子さんは「私が孫を励ましてあげたい。守ってるっていうけれど反対に守られているのかもしれない。」と話します。 子どもたちを守るため避難を決意したゆかりさんですがその心境は複雑なものがあるといいます。 ゆかりさんは「子どもたちを支えるためにも福島から離れるっていう選択をしたことには迷いはないけれども、やっぱりいろいろなことは考える」と話します。 勝子さんは「どれが正しいか分からないけれど娘を信じようと思う。子どもを守ろうというその気持ちは本当に大したものだと」言います。 震災から3年。被災者たちは葛藤をかかえながら暮らしています。 ゆかりさんはそんな思いを伝えていきたいと感じはじめています。 ゆかりさんは「毎日日々営む生活が当たり前って思ってしまうけれどそれが実は奇跡の上に成り立っていることを伝えていきたい。」と話しています。

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