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【3.11の今】 福島の未来のために 果樹農家 佐藤さんの闘い

【3.11の今】 福島の未来のために 果樹農家 佐藤さんの闘い

「このままだと福島の人間はバカにされる。自分から何かしていない。行政に頼っていて。闘ってねえもん。俺は闘わなきゃいけないと思っている」  福島県から伊那市に単身で移住している果樹農家・佐藤浩信さんはこう話します。  福島原発から60キロの位置にある伊達市。  伊達市で佐藤さん一家は、高級ギフト用のりんごやさくらんぼ、ももの生産、加工販売を行う「伊達水蜜園」を営んでいます。  独自の栽培を行なう佐藤さんの果物は全国的にも高い評価を受けてきました。  2月23日。佐藤さんが、現在、一人で暮らす伊那市西箕輪の一軒家に、東京からの来客がありました。  6次産業化プランナーの大畑 太郎さんです。大畑さんは、福島県の農産物の商品の開発や、販売促進などに関っています。  佐藤さんが目指す方向性や、現状を確認するために、今回伊那を訪れました。  大畑さんはこう話します。「こちら(伊達水蜜園)の商品が動かないと、福島の果物動かないっていうくらいの気がありますんでね。佐藤さんの商品を動かすことはとても重要だと思っていますね。福島のためにも」  伊那食品工業㈱の子会社である「ぱぱな農園」。去年5月、佐藤さんが社長に就任しました。  付加価値をつけたトマトの開発を行うなど精力的に働いています。  2011年4月、震災直後。長男と次男に福島の果樹の管理を任せて、妻の玲子さんとともに、伊那に移り住んできました。  伊那を基点に再起をかけるためです。 しかし、一昨年の5月。玲子さんは心労から倒れ、福島に戻りました。  3男は現在、安曇野で果樹栽培の研修を受けています。家族は今、3箇所に別れて暮らしています。  家族と離れ、伊那で一人で暮らす日々。食事作りも慣れました。 「孤独。きょうは午後8時ごろで時間が早くてまだましだけど、9時10時頃になってきるとしんどい」  去年12月、佐藤さんは、伊達水蜜園の社長の座を退き、長男の佑樹さんに経営を託しました  佑樹さんは話します。「原発があったから突然だったんです。農業は、まだやるつもりはなかったんです。でも、父は長野にいっちゃったし。仕方ないです」  佐藤さんは、息子たちに会社を任せたことについて、「子どもたちに押し付けた。十二分に俺のせいだと思う。おくさんが倒れたのは俺のせい。でも、こども達が、何も知らない場所でゼロからはじめることはできなかったと思う。俺がやらなきゃいけなかった」  去年の夏。佐藤さんは、ぱぱな農園の果樹園で、りんごの摘果作業を行っていました。2年間佐藤さんが手を入れたりんごの木は、香り高い実をつける佐藤さんの木として変化を遂げていました。  そのりんごが、今年秋から日本最高峰の商品を扱う老舗の果物屋に並べられることがこのほど決まりました。 「福島と長野をつなぐ、そして福島業績を上げる。それが福島のイメージアップを図る。それが俺の仕事だと思っている」

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