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【3.11の今】 大好きなふるさと気仙沼に笑顔を

【3.11の今】 大好きなふるさと気仙沼に笑顔を

「伊那でたくさんの人とつながり、色々な事を成しとげ、思いをつなげていると感じた」 宮城県気仙沼市出身の野溝清美さん。 清美さんは仙台市にある短大を卒業後、信州大学農学部に編入し卒業しました。 卒業後は伊那に残り大学の事務員として働いています。 2007年に幸雄さんと結婚。2010年に息子の桧(かい)君が生まれ、平凡で幸せな日々をおくっていました。 桧君の成長の節目となった日。それが2011年3月11日でした。 「初めて歩いた日。仕事が終わったら実家の気仙沼に連絡しようと思っていた。すごく嬉しい日でした」 しかし、両親に報告する事はできませんでした。連絡が取れたのは、震災から1週間後だったからです。 「涙を流しながらテレビを見ていた。不安や恐怖で手が震えた。実家に連絡がとれるまでの1週間は、津波の夢ばかり見ていました」 気仙沼を襲った地震と津波。今年1月現在の気仙沼市の被害状況は、死者1041人、行方不明者236人、震災の関連死と認定されたのは107人です。 故郷を離れて暮らす気仙沼出身者の若者を中心に復興を応援し共に立ち上がろうと始まったプロジェクト「Re:us.気仙沼(りあすけせんぬま)」 清美さんも小学校の同級生に誘われ迷うことなく参加しました。 復興イベントや子供向けの英語の教室の開催、気仙沼のオリジナルのフォトブック作りなど様々な活動を行ってきました。 活動に参加する事で故郷を見直すきっかけになったと清美さんは話します。 「何ができるか不安でしたが、参加することで心の整理になりました。そして、気仙沼に帰ってくるたびに、なんていい街だと改めて気づかされました」 清美さんは、伊那でも報告会に参加し支援の呼び掛けや、市内の店舗の協力のもと、友人と一緒にキャンドルを作り、震災1周年の2012年3月11日に気仙沼で開かれたイベントに届けました。 清美さんを一番近くで見守ってきた幸雄さんは、この3年間を次のように振り返ります。 「考えてしまうとずっと考えこんでしまう。やると決めたら突っ走る所もあるが、仲間もいるのでうまくまとまり、ほどよくなっている」 故郷、気仙沼から470キロ離れた伊那の地で、清美さんの祈りは今日もつづきます。 「気仙沼を訪れた人がまた来たいと思ってもらえ、そんな人が増えていけばいいと思う」 気仙沼、好きですかと尋ねると、清美さんは笑顔で「大好き」

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