【南大東島再訪記】広がる子どもの交流〈下〉
子どもたち自身が求める交流の形を
「試合が少ないから、小学生はなかなか出られないんだ」
島の野球チームに参加する田仲慎吾君(小6)は、少しはにかんでそう話した。
8月に伊那を訪ねた際、伊那の高校球児の応援団を自認するラーメン屋原点の酒井夫妻から「甲子園で会おう!」とバットとグローブをプレゼントされた少年。9月に酒井夫妻のもとに「あのバットでヒットを2本打った」というメモ書きの手紙が届いていた。
「その後」を聞いたときの答えだ。
島にチームは1つしかない。紅白戦はできるが、試合は本島か他所の島にいかなけばできない。チーム内で年少の小学生には、なかなか出場機会が回ってこないのだという。
「柔道の強い子はいるの?」と聞いて来た子もいる。「伊那で太鼓を叩く子どもに会いたいな」「島唄みたいのことやっている小学生はいないの?」……少し打ち解けると矢継ぎ早の質問攻めにあった。島の子どもたちは他所の地域の子どもとの接点を求めている。
「どういう交流の形が適当か、これから伊那の人と相談して行きたいです。ただ、大人が決めるのではなく、子どもたち同士が話し合い、どんなことをやりたいか、どんなことができるかを考えていけるような形が望ましいですね」。仲田建匠助役は話した。
3月・8月・そして今回と、島の子供たちを見ていて気付いた。彼らは、何か行動する時には必ず一まとまりになり、年長のリーダーが全体をしっかり統率して動く。島の大人たちは意識して、そのように子どもを育てているようにも見えた。
「伊那で花火を見に行く時に、みんな家族でまとまって歩いていたでしょ。島では、子どもは子ども、大人は大人で歩く。ちがうんだなぁって思いましたよ」。8月に伊那を訪れた島のお母さんの一人はそう話した。
自然環境も、生活風習も、子どもたち自身の関係も、かなり異なる南大東島と伊那の子どもたち。彼らは今後どのような交流を作り出し、どのような実りを作り出していくのだろうか?
(毛賀沢明宏)
※「広がる子どもの交流」は終わり。次回から「離島産業振興の苦難」が始まります。