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上伊那の駅伝

強さを支えるもの(下)

 1983年、全国都道府県女子駅伝大会(京都府)が始まった。福沢久美子さん(39)=駒ヶ根市=は、赤穂高校の1年生だった第1回大会から7年間、県代表選手として出場。当時は代表選手の半分以上が上伊那から選出され、地元女性ランナーの黄金期を迎えていた。
 県縦断駅伝は第35回大会から女性区間が設けられた。県代表女性選手を多く輩出する上伊那では、出場枠2人をめぐる激戦が展開。「県縦断の予選会に全国大会出場メンバーがごろごろ落とされていた。県代表になるより県縦選手に選ばれるほうが大変」と福沢さんは言う。
 幼少のころから父親とともに、上伊那チームを沿道で応援していた福沢さん。県縦選手にあこがれ、第36回大会に初出場した。
 当時、すでに県縦断で最多優勝を誇っていた上伊那チーム。「負けない上伊那」という、見えないプレッシャーがのし掛かっていた。結果は区間4位の走り。県内の女子エースの実力を持っていたが、大会への心配から過度の練習を積み、体調不良のまま力を発揮できなかった。
 89年の38回大会から上伊那はどのチームも成し遂げられなかった12連覇を達成する。そのころ、1区の選手は新社会人の選手を起用するのが伝統で、若者の力を試す登竜門になっていた。
 県縦断15回出場の羽生吉浩さん(30)=駒ヶ根市=は93年、養命酒に入社。42回大会で1区を任され、2区の唐沢勉選手に「6位でもいいからたすきをつなげ。オレがゴボウ抜きしてやるから」と言われたという。
 1区を激走したが期待にこたえられず区間3位。しかし、続く2区以降は常に総合1位をキープし、そのまま優勝した。後に控える選手層の厚さからか、余裕が満ち溢れていた。
 45回大会はチームの中心選手を輩出するNEC長野が実業団の大会へ出場するため、県縦断駅伝への参加がなかった。上伊那チームは「NECが不参加でも伝統は途切れさせられない」との思いでたすきをつないだ。
 好調なスタートを切った上伊那は、1区から総合順位1位を維持して優勝。3区の羽生さんは、それまでの自分にとっての最長距離(20・4キロ)を「後方は気にせずがむしゃら」に走り、区間新記録を出すなど、選手一人ひとりの自覚が結果につながった。上伊那チームにとって「優勝」という文字が揺るぎないものになっていた。
 しかし、不況の波とともに上伊那の実業団も所属企業の支援が厳しくなり、選手補強に力が入らなくなっていく。50回の記念大会は、チームの総合力低下と、周りからのプレッシャーで13連覇を逃す。2大実業団中心に県縦断選手を構成していた長年のパターンが崩れだした。
 上伊那陸上競技協会は、連覇が途絶えた年から、若手選手などを集め、練習会を月に2回開き出した。県縦断14回出場、5区の区間記録(第49回大会)を保持する丸山信一さん(33)=箕輪町=が中心となって練習メニューを立てて指導する。
 12連覇をけん引したNEC長野。県外の実業団で活躍し、マラソンで2時間10分40秒の記録を持つ須永宏監督兼選手の存在が大きい。90年に入社した丸山さんも、須永監督の教え子の一人だ。
 「須永さんからは走ること以外にも、勝負にこだわる、精神的な強さを学んだ」
 しかし、現代の若手ランナーとの気持ちにはギャップが生じる。「若者は負けて悔しいとは思うんだろうが、1年間気持ちを維持するのは難しい。県縦断駅伝がすべてではないが…」と丸山さん。
 「きついことを指摘するとやる気を失ってしまう。気を使いながら育ててるのは難しい」。仕事に追われ、駅伝との両立が困難な時世では若者を駅伝に引きとめるのは苦労する。
 実業団チームの力が衰えているなか、35歳から走り始めた居酒屋店長・守屋智治さん(46)=伊那市=は、実力で代表枠を獲得している。48回大会から数えて7回出場している(内補欠が1回)。その存在は、上伊那の希望の光となっている。
 店の常連客や友人と「遊び半分」で地域のマラソン大会に参加したのがきっかけ。現在は以前より練習量が減ったというが、昼間の2時間、アップダウンの激しい練習コースを15縲・0キロ走っている。
 「企業に選手の輩出力はなくなっている。選手の個々のやる気、個人の練習量が必要となる」
 3年ぶりの勝利を目指した本年の大会(11月19縲・0日)は、初めてのアンカーを務めた。日ごろの練習の積み重ねは、「勝負どころの最終区」への起用という形になって表われた。
 初日を2位で終えた上伊那は2日目の逆転を願った。トップと30秒差でたすきを受けた守屋さんは、2キロ付近で追いつき、一気に引き離した。前日のトップとの25秒遅れを縮めるため、速度を緩めず全力で走り、チームを総合優勝に導いた。
 「優勝を知らない若い選手には、勝った喜びを自信に変えてほしい」と守屋さんは若手の頑張りで連覇することを期待している。
 「私立校への入学を希望する中学生、高校や大学でやめる選手が年々増えている。他地域に比べ上伊那の年齢層は高く、今後も若い力がなくなっていくのでは」と懸念する声は多く、競技人口の減少に伴い、有望な若手の輩出に苦しんでいる。
 先ごろ、東日本女子駅伝で2年連続長野1区を務めた伊那北高校2年の大沼香織さん(16)=駒ヶ根市=は、中学3年の中体連北信越大会で800メートルに出場し、8位入賞、高1の時には国体少年女子3千メートルで9分21秒をマークしている、上伊那の次世代を担う逸材の一人とされている。
 「インターハイに懸けている」大沼さんは、大学への進学を目指しているが、卒業後も走ろうとは決めていないという。
 「走ることの楽しさを知る前に、やめてしまう子どもたちも多い」と北原治養命酒監督。駅伝競技のすそ野を広げるためにも、今後は地域の継続的な支援と若い指導者の育成が必要不可欠と指摘する。
 上伊那陸上協議会の大井初己理事長も「陸上をやりたくても、学校に陸上部がないケースがある。学校体育という枠にとらわれず、地域の社会体育として指導していく必要もあると思う」と底辺拡大にかける思いが強い。
 不況などによって企業の支援も厳しくなり、養命酒の陸上部員は現在たった3人。今年の県縦も1人しか出場していない。養命酒とともに上伊那の全盛期をつくったNEC長野も例外ではない。
 実業団が上伊那の優位を揺るぎないものにしてきたことも事実。その恵まれた時代は去ったが、「不況で就職が難しいことが幸いして、よい人材が地元に戻るようになってきた」と北原監督。
 大井理事長は学生生活を県外で過ごした選手たちが地元に戻ってきやすいよう、企業へ働きかけも行っている。
 さらに駒ヶ根スポーツ少年団陸上部などを指導。駒ヶ根市の小中学生は駅伝の県大会で優勝をはじめ上位入賞を果たすなど、着実に成果を挙げている。
 上伊那の駅伝にはいくつかの課題もあるが、関係者の努力で明るい灯も見え隠れする。

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