第2回 森の座談会
子どもと読書を考える【上】
~地域の力で読書を広げるために~
【出席者】
■伊東宏晃さん(箕輪南小学校教諭)
■橋場悟さん(赤穂中学校・伊那中学校教諭)
■北原明さん(伊那市教育長)
■荒木康雄さん((株)ニシザワ社長)
□司会・毛賀沢明宏
国際的な学力調査で、日本の児童・生徒の国語離れ・読書離れが指摘されている。読書離れの傾向が、子どもの語彙力・読解力のみならず、感受性や論理的思考力、表現力の低下につながることは以前より指摘されており、調査の結果に各界各層から憂慮の念が表明され、その打開の手立てが探られている。
上伊那でも、朝の読書の時間を設けるなど学校現場での努力や、各種ボランティアなども活躍する。さらに04年からは上伊那に書店やスーパーを展開するニシザワが、創業80周年を記念して小中学生の読書感想文コンクールを開始。2回目の05年には、747作品の応募があるなど、読書の拡大に影響を与えている。
では、いったい上伊那の子どもの読書状況はどうなっているか?「本を読む」ことにはどのような魅力と力が秘められているか?竏虫qどもの読書に関係を持つ、さまざまな立場の人に語り合ってもらった。
意外に多い読書量、だが2極分解傾向か?
司会 ご出席の皆さんは、それぞれの立場から日頃子どもの読書に接する機会が多いと思いますが、その中で気付いたり考えたりしていることはどういうことでしょうか?自己紹介をかねてお願いします。
伊東 箕輪南小の伊東です。4年生の担任です。昨今の子どもの状況や、子どもを取り巻く状況を見ていると、「心豊かに育てよう」という教育目標を掲げているにもかかわらず、時代は逆行しているように思えます。あまりに殺伐とした事件が多く、学校・PTAでの議論の大半は「子どもの安全」に費やされています。こういう時だから、読書によって心を育てることがいっそう重要になっていると思います。それで子どもの方はどうかというと、端的にって、読む時間を与えれば読むし、本が好きになる竏窒アれに尽きます。そういう子どもに、読み進める力、「読み」の発展性といいますかね、それをどうやったら教えられるか?毎日そんなことを考えています。
橋場 赤穂中学校の橋場です。少し変った勤務で、伊那中学校でも教えています。読書の印象ということですが、赤穂中では6縲・年前から生徒会の図書委員会が学級別貸し出し冊数や個人貸し出し冊数ベスト10とかを発表しています。「朝の読書が学校を変える」(岡山県落合中『朝の読書』推進班編、高文研)という本が出てから、そういう、学校での読書数を増やそうという取り組みがどんどん増えています。その発表を見ていると、ランキング上位の子は、4縲・0月で平気で100冊を超えている。1番の子は476冊です。
司会 驚くべき数字ですね。でも、実際に、そんなに読めるのですかね?
橋場 私もそう思って直接聞いてみたが、それが、読んでいるんですよ。1日に2冊読むこともあるというんです。子どもの読書離れというけど、けっこう読む子は読んでいる、それもすごく読むようになっているというのが、じつは実感なんです。
北原 伊那市教育長の北原です。私は教育長の仕事を仰せつかるまでは40年間高校の教育現場にいました。その時の印象は、2極分解というか、読む生徒は読むが、ほとんどの生徒は本をあまり読まないという感じでした。特に「進学校」と言われるような学校で、受験勉強に追いまわされていると、読めないし、読まない。でも、気になっていたのは勉強もあまりしない、本もほとんど読まないという諸君のありようだね。質問しても単語しか返ってこない。表現力がないというか、語彙(い)が貧しいというか…。本だけでなく新聞も読まない。ビジュアル系の雑誌、テレビ、ビデオ。こういう見やすいものだけに流れることはやはり深刻な問題を生み出していると思いますね。
荒木 ニシザワ社長の荒木です。読後感想文コンクールには諸方面の皆さんのご協力をいただき大変ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
書店の立場から今の北原教育長のお話を受けて話しますと、04年の全国の売上げデータを見ると、このところ減少続きだった売上げ冊数が、8年ぶりにようやく前年比プラスになった。0・7%ですけどね。それで、その内容を見ると、書籍が4・1%増、雑誌が1・7%減。雑誌型から読み込み型に少し推移しました。
北原 それはうれしい数字だね。
荒木 えぇ。まぁそれにはかなりのベストセラーが出たという背景があります。「ハリーポッター」(J・K・ローリング著、静山社)、「世界の中心で愛を叫ぶ」(片山恭一著、小学館)、「いま、会いにゆきます」(市川拓司、小学館)といったテレビや映画とセットになったものが良く売れた。それに韓流ブームも関係している。それでも、ビジュアル系中心から少し活字の方に押し戻す流れがあるのは事実だと思います。社会の風潮が「安・近・短」から、スローライフへという動いていることも影響していると思います。
「朝・読」「読み聞かせ」の効果
司会 お話を聞いていると、「読書離れ」にもようやく歯止めがかかり始めたということでしょうか?意外な感じもするのですが、その原因とか根拠はどうとらえていますか?
荒木 先ほど橋場さんが触れられたが、学校で「朝の読書運動」(「朝・読」)に力を入れ始めたことが大きいと思います。これもデータを調べて来たんですが、出版業界が行ったアンケートによると長野県で「朝・読」を実施している学校は小学校で88%、中学校で93%、高校で34%。全国平均はそれぞれ、59%、55%、27%ですから、かなり高い。もっとも、数字はアンケートに答えてくれたものの集計だから、実際と多少ズレがあるでしょう。実施しているといっても、学校全部・学年単位・学級単位といろいろある。それでも実施率は高いわけで、それが、子どもが本に接するきっかけになっていると思います。
北原 「朝・読」は良いことだね。本は本来強制されて読むものではないけれど、読書の癖をつけるためには最初は「読ませる」ことも必要ですからね。ほかに指摘するとしたら、子ども、それも幼児期に「読み聞かせ」や「語り」をする親御さんやボランティアが増えていることも影響しているではないかな?こういうものの影響で、子どもの関心が、少し、本・読み物に戻ってきた。
伊東 それには行政の施策も深く関係していますね。平成13年に「子どもの読書活動の推進に関わる法律」が制定されて以降、いろいろな試みが行われています。箕輪町は、長野市などとともに子どもの読書推進の重点地域として県から指定を受けていますが、3歳児とかの定期健診の時に、読み聞かせの専門家を呼んで子どもと一緒に若いお母さんたちにも聞いてもらっている。それで、かなり多くの若いお母さんたちが始めているんですよ。学校でも低学年の「朝・読」は読み聞かせです。やはりかなり本に関心を持つようになる。
茅野市では、0歳児に本を一冊プレゼントするファーストブックプレゼントというのをやっていますが、あれも良いですよね。
北原 そう!?本を贈るの?いいなぁ。伊那市は新入学の子に警報ベルを贈っている。必要なんだけど、なにか悲しくなるんだよ。こういうものが必要な社会で良いのかなって…。
橋場 読み聞かせの効用はあると思いますね。本の貸し出し数で04年のトップに立った子は、今年は「図書館に読む本がなくなった」と言ってトップではないんですが、たまたまそのお母さんに話を聞くと、やはり小さな頃から読み聞かせをしていたというんですね。赤穂中でも図書館司書の先生を中心に読み聞かせをしています。読書旬間のイベントとして、国語の教師だけでなく体育とかすべての教師が竏虫末ア職の先生も含めて竏秩Aアトランダムに教室に行って、好きな本を読み聞かせるんです。伊那中でも読み聞かせに力を入れている。中学生でも人が読むのを聞いて、作品に出会い、本に出会うという体験は重要だと思います。
北原 じつは、私自身も本が好きになるきっかけは読み聞かせだったんですよ。小学3・4年生の担任がある日有島武郎の「一房の葡萄」を読んでくれた。胸を打たれてね、感動というものはこういうものだと知ったのはあの時だった。伊那市の図書館司書の人で読み聞かせが抜群に上手な人がいる。その人は演劇もしていて、そういう人が読むとやはり違う。でも、洗練されていなくても、お母さんの個性、ボランティアの人の個性が出る読み聞かせも、子どもの心に伝わるものは多いと思う。自分が感動した本を読んで聞かせ、子どもに感動が伝染してその本が好きになり、やがて本好きになっていくと思う。
橋場 地域の読み聞かせのサークルが多いのにも驚きます。こういう方々が学校に来て、全校生徒を前に、本を読んでくれる。これは、素晴らしいことで、そういう皆さんの力もどんどん学校に取り入れて、読書好きの子を増やしていくのが、本当の意味で、地域の力で子どもを育てていくと言うことになるのかも知れませんね。
学校での読書を取り巻く状況
司会 読書が見直され始めているということだと思いますが、学校現場、特に国語の学力や日常的なコミュニケーションなどに何か影響を与えているような点はありますか?
北原 それはどうなんだろう?読書離れはどん底まで行って、やっと少し歯止めがかかったということだから、まだ顕著な変化は見られないのではないでしょうか?
荒木 国語力とかではなく、子どもの読書環境に関することですが、先ほども「読む本がない」という子どもがいるとのことでしたが、学校図書館の蔵書数の少なさが指摘されるようになりましたよね。全国で6千万部が不足しているとの統計もあります。それで国が平成14年から5ヵ年計画で、年間130億円の予算措置をして増やそうとしている。教育委員会が申請する制度です。宣伝みたいで恐縮ですが、ニシザワも04年に80周年を迎えた記念に80万円分の図書を、管内の38の学校に寄贈しました。でも、まだまだそういうことではまかないきれない。管内の学校図書館の連携とかが目指されないといけないのではないでしょうか?
北原 伊那市では市立図書館から学校に本を貸し出しています。今年の実績は8校が希望して5千数百冊位。
橋場 駒ヶ根市では市立の学校の全書籍をネットワークに登録して、検索がかけられるようになりました。まぁ私たち職員はそのために、1人最低2日づつ入力の仕事をやりまして、それは大変だったんですけどね(笑)。
伊東 いま言われてような環境の変化はありますが、それで子どもにどんな変化が生まれてきているかと言うと、まだこれからということではないでしょうか。国語の授業ということでは「話す・聞く」ということが重要だといわれ教育課程から読書の時間がどんどん削られてきた。前々回までですね。それがこの直前の教育課程の改定で、やっぱり読書も必要だということになり、少しばかり戻したという位のことですからね。
橋場 「話す・聞く」力を養うために「読む」時間を減らすという、前の教育課程改定の考え方は疑問でした。学校にいると、読書好きの子は、スラスラ本を読んだり、的確な表現をしたりするなと感じることは多い。「話す・聞く」力と「読む」力を切り離すのはおかしいですよ。
北原 文部科学省は「コミュニケーション力の強化」を掲げて読書の時間を減らし続けてきたけど、考え方が短絡的、もしくは短期決戦的だったと思う。相手の意見を正しくつかみ、相手に正しく自分の意見を伝えるコミュニケーションの力は大切だが、それはただおしゃべりになれば良いというものではない。しゃべり下手でも書かせるとすごいものを書く子もいる。「書く」力、「書く」表現力は、「読む」ことに直結している。自分の考えをきちんとまとめる力は、読書で育まれるものが大きい。それをどう「話す」かは、もちろん「話す」表現力に関わってくるけれど、「話す」内容がまとまらないで話しても、それはただのおしゃべりにしかならないと思いますね。
荒木 それはやはり読書を通じて考える力を育むことができるということではないでしょうか?本を読むにしても、重要だと思ったことを書き止めたり、感想を書き出したり、そういうことが大切ですよね。自分の経験では、そういう中で、「あ、この熟語は自分の物にしたな」と思ったりしたことは多いですよ。メモ程度でよいから何か書いておく。
伊東 行間に思ったことを書き込んでいくというのは、書物の読み方として国語の授業でも教えていることです。こういう癖がつくと、かなり違ってくる。
北原 私は今でも、難解な哲学書を読む時にはノートをつけながら読むことにしています。年齢のためか、これが時間がかかるんだけどね(笑)。でも、どうですか?いまの国語の教科書には、こう言ってはなんだが、メモをつけながら読むような名作、優れた文学作品や評論は少なくなっているんじゃないですか?
伊東 そうなんです。教科書に載っている古典的名作というのは本当に少なくなりましたね。
橋場 中学校もそうですね。私は高校時代に、教科書に載っていた夏目漱石の「こころ」や小林秀雄の「無常ということ」などで感銘を受け、人の人生について考える文学に関心を持つようになったんですが、高校の教科書からもそうした作品はどんどん少なくなっていっているようですね。
(続く)