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第2回 森の座談会
子どもと読書を考える【下】

~地域の力で読書を広げるために~
【出席者】
■伊東宏晃さん(箕輪南小学校教諭)
■橋場悟さん(赤穂中学校・伊那中学校教諭)
■北原明さん(伊那市教育長)
■荒木康雄さん((株)ニシザワ社長)
□司会・毛賀沢明宏

第2回 森の座談会<br>子どもと読書を考える【下】

 児童・生徒の国語離れ・読書離れが指摘されている中、伊那谷の子どもの読書とそれを取り巻く状況について、さまざまな立場の人に語り合ってもらった。その2回目。

思いを書き、同時にあら筋を伝える表現力

第2回 森の座談会<br>子どもと読書を考える【下】

司会 これまで(前号)のお話で、子どもの読書離れの傾向にやや歯止めがかかり始めているという好ましい事態、それに、その原因や背景について浮き彫りになってきたと思います。そういう中で、地域の新たな読書の勧めの試みとしてニシザワさんの読書感想文コンクールが04年から始まっています。荒木さんは社長として関わり、北原教育長も表彰式での講評をされました。伊東さんと橋場さんには、入賞作を中心にこの座談会に向けて目を通して来ていただいていますが、感想文の作品としての評価はどういうものでしょうか?まず小学校の部からお願いします。
荒木 小学校の部だけでなく中学校の部もそうなんですが、05年度第2回は、本来1つであるべき最優秀がそれぞれ3作品づつあります。とてもレベルが高く、審査委員会で甲乙つけがたいという意見が大半を占め、こういう結果になりました。
 審査の過程で印象深く思ったことは、1つに良い本、意味のある本を皆さん読んでいるなということ。2つは、字とか表現とかが丁寧で、応募された子どもさんが、本当に一生懸命だなということです。
伊東 入賞作は素材に良い本を選んでいるというのは同感です。感想文の作品としての出来栄えということですが、良い作品というのは竏衷ャ説でも、評論でも同じことなのですが竏秩uXがあって、これがYに変る」というお話の基本がはっきり分かるものです。読書感想文では「この本を読む前はこうだったが、読んだらこう変った」ということがしっかり描かれているかどうかということになりますが、ニシザワさんのコンクールの入賞作を読むと、優秀な作品は皆、それができています。特に、最優秀賞の小学2年生の平栗はるかさん(西春近南小)の「黄色いバケツ」(もりやまみやこ作、あかね書房)の感想文(本紙12月11日掲載)は、登場するきつねへの手紙のような形式で書かれていて、自分の印象の変化が良く表わされていると思います。
橋場 平栗さんの作品は確かに良い。中学生の最優秀作の中にも手紙形式で書かれたものがありますが、この2つの作品は素晴らしい。普通は、素材にした本のあら筋をまとめて書いて、それで「こう思った」という感想を付け加えるという感想文が多いのだけれど、この2作品は、本の登場人物などへの思いを綴りながら、それを読むと自然に本のあら筋も分かるようにできている。その表現力に驚きました。
荒木 平栗さんの作品は自分の感動を読む人に伝える手法がすごいですよね。起承転結もしっかりしていて、1つの文学作品。小2が書いたとは思えないですよ。
伊東 やはり最優秀賞の小田杏奈さん(伊那北小5年)の「チョコレート工場の秘密」(ロアルド・ダール著、評論社)の感想文(12月10日掲載)は、冒頭に、「夢の中にしかありえないことがいっぱい書いてあり、こんなことありえないと思っていても、いつか主人公の気持ちになっている」と、読書の究極の楽しみが、子どもの言葉で表わされています。それで、作品・登場人物についての思いの変化がみごとに綴られていて、しかもそれを読むとあら筋が分かる。要約力や思いを表現する力がありますね。
 同じく最優秀賞の春日菜津美さん(伊那東小4年)の「うさぎのユック」(絵門ゆう子著、金の星社)の作品(12月10日掲載)も、引用符をつけて自分の思いを書き記しながら、あら筋をまとめている。あら筋はあら筋、自分の思いは思いというように、機械的に分けて書いていないので、読むものを惹きこむ力があります。
北原 平栗さんは2年生だというから驚いたね。読書感想文は、筆者の思いの移り変わりに説得力がないとだめだと思うんですよ。人を説得するには表現力が必要だ。それは、本の読み方・読み込み方に連動していますよね。「スゴい」とか「ダサい」とかいう言葉で終わらせずに、何に・どうして・どのように感じたかを厳密に捉える。かつそれを的確に表現する。そういうことが重要だということがよく分かる作品だと思います。

レベル高いが、古典的名著への挑戦少ない

第2回 森の座談会<br>子どもと読書を考える【下】

司会 中学生の部の作品はどうですか?
橋場 塩原美香さん(南箕輪中3年)の「かかしの旅」(稲葉真弓著、新潮文庫「いじめの時間」所収)の感想文は(12月3日付掲載)、その表現力に圧倒されました。これも主人公にあてた手紙の形式で書かれていますが、主人公の生活と考えを分析し、それに対する自分の思いをしっかりとまとめています。主人公のあり方に批評を加えながら、自分の生活を振り返っている思考の厚さが感想文を内容的に支えています。文章の脈絡が論理的つながりがなく・飛んでしまう作品が多い中で、素晴らしい出来だと思います。
 吉田舞花さん(高遠中1年)の「まばたきの天使竏虫рフ水野源三」(和田登著、日本基督教団)の作品(12月6日掲載)も、登場人物に対して思ったことと、それを介して自分について考えたことがはっきりと書かれていて、立派な作品だと思います。読書を通じて自分の生き方を考える、その好手本だと言えるでしょう。
北原 確かに高いレベルの作品が多かった。でも、私が少し引っかかったのは、中学生ぐらいになったら本格的な小説や文学作品、それに歴史や社会にかかわったドキュメントなどに取組んだ作品が少なかったかなと言うことですね。そういう意味では、新谷千布美さん(宮田中3年)が「夜の神話」(たつみや章著、講談社)を読んで書いた「マサミチ」(12月3日掲載)は、原子力発電という深い問題に触れながら、自分の日常生活を振り返ったものとして注目しました。
橋場 古典作品への挑戦が少なかったということは私も感じます。芥川竜之介とか夏目漱石とかを読んだ作品は少なかったですね。文学作品ということでは「インストール」(綿矢りさ著、河出書房新社)の感想文があったようだが、小中学生でこの作品をどこまで読みこなせるかは疑問ですね。あと、北原教育長が指摘された社会性の濃い書物と言う意味では、黒人奴隷制度への抵抗を描いた「Freedom竏樗髢ァの道をぬけて」(ロニー・ショッター著、あすなろ書房)について書いた作品が、優秀賞の田辺澄さん(宮田中2年)のほかいくつかあったようです。でも、これは何かの課題図書にも指定されているものらしく、社会的な問題意識の広がりという点では、確かに弱いものを感じますね。
荒木 僕らが子どもの頃竏注mZ生の頃かな竏窒ヘ、少し背伸びをして難しい本を読んだ。それが、自分のステイタスになったりして、競って難しいものに手を出した。分かったかどうかは別ですよ(笑)。あの頃のことを思うと、古典的名著に挑戦する年齢は、現在かなり高くなってきているのではないですかね。応募していただいた作品は表現が素晴らしく高いレベルだと思うが、背伸びをしないな、というのは私の実感でもありますね。

読解力・思考力・表現力竏茶gータルな発展を

第2回 森の座談会<br>子どもと読書を考える【下】

司会 コンクールの入賞作からは読書や読書感想文執筆によって、さまざまな力が培われるということが見て取れるわけですが、あらためて、読書の効用ということを論じると、どのように考えていますか?
荒木 ビデオやゲーム、コンピューターが普及して、ものを考えるということが足りなくなっていると思う。私は、本を読むということは、すなわち考えることだと思う。思考力を養うと思うんですね。それに、登場人物の行動や生き方を疑似体験することで感性が豊かになる。そして、感じ・考えたことをどのように人に伝えるか、その表現力も鍛えられると思います。これから地域を作っていくのは、地域の子どもたちだから、地域の力で読書の気運を高めることが重要ではないでしょうか。
伊東 同感です。あえて付け加えさせてもらえば、要約力ですかね。あら筋を要約するということは大切なことです。もちろん読解力がなければできないが、書物の筋書きを要約し作者が言いたいことを的確につかむ力は、やはりいろいろな書物を読まないとつきません。今回の応募作の中には三国志や平家物語を題材にした作品もあったようです。もちろん子ども向けのダイジェスト版を読んだのでしょうけど、ストーリーが長く、複雑なので、要約するのが大変。今回のコンクールは小学生が400字詰原稿用紙3枚程度で感想をまとめるという規定でしたが、3枚では要約するだけでも大変だと思います。だから、こういう作品は選に漏れたようです。でも、大作に挑み、それを要約することに頑張った子どもたちはそれなりに誉めてやりたいですね。
橋場 読書はいろいろな教育的な、情操的な意味があり、総合的な子どもの力を養うものだと思います。そこをとらえないで、テストの点などを尺度にした学力の向上に直結するものと考えるわけにはいかないのではないでしょうか?少し前に、図書館の貸し出し冊数の多い子を対象にして調査したんですが、貸し出し冊数と国語のテストの得点とは相関関係はなかった。たくさん読んでいるから国語のテストができるかというとそうではない。5教科全体の総得点ともほとんど関係しません。
司会 読書と学力はあまり関係しないということですか?私も高校時代は小説ばかり読んでいるうちに、テストの点はどんどん落ちていった。なんか実感湧きますね(笑)。
橋場 ただ、その子の5教科の総計に占める国語の得点の割合竏注糟黷フ「得意率」とでもいいますかね竏秩Aそれだけは明らかに相関関係があった。読書が好きな子は、テストの面でも、国語が自分なりの得意科目になっているということです。逆にいうと読書と学力とは、そのくらいしか関係しない。
北原 そうだろうね。学力テストは大切だけど、読書で培われる力とか人間的魅力とかは、少なくとも現在の入試制度の枠組みの中でのテストでは計り切れないと思いますよ。語彙力は圧倒的に違うだろうけど、そういうことはテストではあまり関係ない。要約力も。近ごろは大学入試で、長い文章を要約して感想を記せという問題が出るようだけれど、そういう問題の答え方・書き方のノウハウを教えるのが受験対策としてやられている。それで生徒は試験に出そうな書物を濫読するようになっているというが、それでは読書の質は高まらないよ。
荒木 学力向上は必要だけど、読書は学力に汲み尽くせないもっとトータルな人間力を培うものだということですよね。

読書は人の生き方を知る営み

第2回 森の座談会<br>子どもと読書を考える【下】

司会 さて、時間も少なくなってきました。ここにいる方は皆さん読書好きだと思いますが、それぞれの読書体験というか、平易にいえばどうして読書好きになったか?そしていまどんな思いで読書をしているか?竏窒bしていただき、「読書の勧め」に代えたいと思うのですが、いかがですか?
荒木 北原教育長が子どもの頃の読み聞かせがきっかけになったと話されましたが、私も小学校の担任に「レ・ミゼラブル」(ユーゴー著)を読んでもらって感動したことなんです。あと宮沢賢治の「雨にも負けず」を暗唱させられたことも大きかった。今でも覚えていますよ。こうしたことがきっかけになり「羅生門」(芥川龍之介著)とか「高瀬舟」(森鴎外著)とかを背伸びして読むようになった。大学に入ってから司馬遼太郎の「竜馬が行く」とかを読んで歴史小説にはまりました。やはり、どう生きたら良いかということを書物から教えてもらってきたという感じでしょうかね。
北原 そうだよ、暗唱は大切なんだよ。国語の文法で係り結びとかなんとか法とか教えられるけど、まず、なにより日本語の美しいリズムとか、そこに脈打つ精神とか、そういうことを暗唱で体に叩き込むことが大切で、それは後になって必ず活きてくると思いますね。漢文の素読みなんかも重要だ。
伊東 私もじつは、おふくろが子どもの頃に読み聞かせてくれた「安寿と厨子王」(森鴎外著 「山椒太夫」の別名)なんですよ。今でも、そのいろいろな場面がイメージとして頭の中に残っています。家にそれなりに書物があり、いろいろ読んでみるうちに好きになった。高校時代は、高橋和己や大江健三郎。そういう世代ですからね。
荒木 そうそう。懐かしい名前だね。
伊東 現在は村上春樹や宮本輝というところですかね。
北原 時代背景があるから、いまの児童・生徒に、僕らが読んだ作家を押し付ける必要はないだろうけど、下村湖人の「次郎物語」は、ぜひ読んで欲しいな。大きな時代の流れの中で、人々は、どんな思いで生きてきたか、それを擬似体験することは重要だと思う。
橋場 私が国語の教師になろうと思ったのは高校の現代国語の授業の影響が大きかったんです。それまでは小説なんてあまり好きじゃなかった。教科書に載っていた漱石の「こころ」をどう読み込むかという授業で、「エゴイズム」の話になり、はじめて文学者は人間のことをこんなに深く考えるのかと感動した。その時の教師の影響も強かった。続いて小林秀雄の「無常ということ」をやはり授業でやり、人間や人生について、社会について、批評するということを知った。当時は悩んだり迷ったりの年頃でしたが、世の中や、社会について知る手がかりを与えてくれたのが文学だったと思いますね。
荒木 特に小説の場合には、主人公の人生を疑似体験するでしょ。そこで得られるものは大きいですよね。今回の入賞作にも、主人公の生き方に「勇気を与えられた」と書いた子がいたが、友だちに「こうした方が良いよ」とか「こういうことはやめて」とか言いたいけど言えない、そういう子どもなりに切羽詰ったところで、背中を押してくれるのものを読書の中で得られると思うんですよ。相手の気持ちも想像できるようになる。犯罪の低年齢化が指摘されているけれど、きっと読書で得られるものが、それを克服していくきっかけになると思います。
北原 そのためには、本を読んで感動しなくちゃいけない。だから小中学生に言いたいことは、映画とかテレビになる前に、原作を読んで欲しいということ。映画やテレビを先に見てしまうと、イメージや感動の内実が定式化されてしまう。そうじゃなくて、自分の感動をきちんとかみしめなくちゃ。そのためには原作を先に読む。やはりね、本を読んで感動して夜眠れないという体験が必要ですよ。ロマン・ロランの「ジャンクリストフ」、パールバックの「大地」……。感動するのは文学だけじゃない。私自身で言えば、文学ではなく社会学に進む大きなきっかけになったのは丸山真男の「現代政治の思想と行動」(未来社)を読んで興奮して寝られなかったことなんですよ。だから文学に限らずたくさんの良い書物と出会って欲しい。そのために、子どもの頃から本を読む癖がつくように、親や教師だけでなく子どもを取り巻くすべての人が子どもにかかわって欲しいと思いますね。
司会 話はつきませんが、時間がきてしまいました。ありがとうございました。

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