シリーズ・青パパイアの道〈第1回〉
南大東島で響いた勘太郎月夜歌
青パパイアが取り持つ心温まる縁で、伊那市住民と沖縄県南大東村民との民間レベルの交流が始まった。3月初め、南大東島を訪ねた「伊那市民訪問団」の道中を、シリーズで紹介する。
この住民相互のつながりあいは、今後どのような展開を見せるのだろうか?
※文中敬称略
「私らが作る青パパイアを、本土でただ一カ所だけ販売してくれている伊那市の皆さんとお会いできて、なんかもう、胸が一杯です」
南大東島青パパイア生産組合の沖山吉人は、伊那市訪問団一行21人をこう言って歓迎した。訪問一泊目。生産組合が準備した歓迎会。司会を沖山が勤めた。宴席には、地元産のサワラを使った名物大東寿司を初め、ムロアジ・アブラムツなどの魚料理が所狭しと並んだ。もちろんサラダや炒め物などの青パパイア料理も…。
「こんなご馳走、何日も前から準備したんだろうな」。これまで島を2回訪ねている井地千代子は思った。
島で生産者組合をリードする平安山正治は、かつて勤務した長野NEC(伊那市)で上司だった。家庭の事情で30数年ぶりに島に戻った平安山から、「売り物にならず島にゴロゴロ落ちている青パパイアを何とかできないか」と相談を持ちかけられたのは03年の12月だった。
以来、同島産の青パパイアを取り扱う本土で唯一の窓口役を担ってきた。もともと青パパイア料理が好きだったこともあり、手づくりレシピを付けて販路の拡大も図った。無償のボランティア。「何の得にもならないのにバカじゃないのと言われたわ」と笑う。
訪問団結成を呼びかけたのは伊那市の産直市場グリーンファーム代表の小林史麿。遥か海の彼方で取れた青パパイアを熱心に扱う井地の心に秘めた思いを知った小林は、「心と心をつなぐのも産直市場の役目だ」と2つ返事で販売を引き受けた。
グリーンファームで青パパイアを購入し、口づてに、また、本紙紙面の特集記事などを通じて、青パパイアが取り持つ井地と平安山の海を越えた心のつながりを知った人々が、次々と訪問団への参加を表明した。
「どんな方がパパイアを売って下さっているのか、どうしても会いたかった」「こんな島のパパイアを誰が買ってくれているのか知りたかった」……
真っ黒に陽に焼けた生産組合員が繰り返し繰り返し語る言葉に訪問団も胸が熱くなった。
泡盛の杯が重なり、三線(さんしん)の音に乗せて沖縄民謡が次々と歌われた。当然のように伝統舞踊カチャシーを踊り出す島の人々。踊りの輪に入った訪問団の提案で、最後には「勘太郎月夜歌」を山と海の人々全員で、歌い踊った。
「こんなことになるなんて夢のようだ」。井地は思った。
【毛賀沢明宏】