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カメラリポート  元少年戦車兵が語る太平洋戦争

伊那市東春近 野溝定芳さんの元に貴重な映像残る

カメラリポート  元少年戦車兵が語る太平洋戦争

続いてはカメラリポートです。 太平洋戦争中、戦車隊の拡充強化のため少年戦車兵を養成していた静岡県の陸軍少年戦車兵学校。卒業生のひとり、伊那市東春近の野溝定芳さんの元に、当時の学校の様子をうかがい知る事ができる貴重な映像が残っています。 生徒を集めるため当時の陸軍が製作した宣伝映画が、このビデオテープに残っていました。 大正15年生まれ、90歳の野溝定芳さんです。 昭和17年。静岡県富士宮市にあった陸軍少年戦車兵学校に17歳で入学しました。600人の募集に2万人が受験した4期生の一人で、上伊那では野溝さん一人が試験に合格したという事です。 戦後に同窓会長をしていた野溝さんは昭和60年頃、学校の倉庫でこのビデオテープを見つけました。 30年あまり全国の同窓生の元を渡り歩いたビデオテープは、最後に飯田に住む同級生の元に渡り野溝さんの元へ戻ってきました。

カメラリポート  元少年戦車兵が語る太平洋戦争

少年戦車兵は、当時「若獅子」と呼ばれていました。 当時の日本軍の戦車は姿を見ただけで敵の兵隊が一目散に逃げていくほど「どこへ行っても無敵だった」と野溝さんは言います。

カメラリポート  元少年戦車兵が語る太平洋戦争

90歳になった野溝さんは「戦争の記録を地域の人たちに伝えたい」と私たちにこの映像を見せてくれました。 そして野溝さんは話しました。「日本軍の精神力だけは世界一だったけれども戦車の装備は最も最悪なものを使っていた事が戦後になってわかった。大和魂だけで戦争が勝てるものじゃない、再軍備をするような事は絶対にいけないぞというのが、実際に経験をした私たちが考える原動力になっていかなければならないと、心に決めているところです」

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