東日本大震災から6年 犠牲者の冥福祈る
被災者がふるさとを想う
東日本大震災から11日で丸6年となります。 地震発生時刻の午後2時46分にはサイレンが鳴らされ、犠牲者の冥福を祈りました。 「早いような遅いような、なんとも言えない気持ちですね・・・」 福島県浪江町から伊那市に避難した佐藤潤子さんです。 震災前、夫の忠司さんを介護しながら暮らしていましたが、浪江町全域に避難指示が出され、娘夫婦の住んでいた伊那に避難してきました。 2014年には忠司さんが亡くなりました。 墓がある場所は帰還困難区域に指定され、遺骨を納めることができません。 「主人の親が線量の高い場所に埋まってるんですよね。私が元気なうちに主人と一緒のところにしてあげたいなという気持ちはあるんですけど・・・。線量が低くなったら一緒のところに納骨してあげたいなと思っています」 佐藤さんが住んでいた浪江町苅宿地区は3月31日で避難指示が解除となりますが、伊那で生きていく事を決めました。 「2人して一生懸命になって働いて建てた家を壊さなきゃならないのはさみしいんだけど、そのままにしてもおけないしね。ふんぎりをつけなきゃならないなと思って」
富岡町から移住の唐木さん夫妻も祈り
福島県富岡町から伊那市富県に移住している唐木 義則さん・幸恵さん夫妻です。富県の自宅で仏壇に手を合わせました。 唐木さんは、震災当時・いわき市にある私立の昌平中学高等学校で校長を務めていました。 2011年3月11日は、学校内で被災しました。 被災後は、住まいが避難指示区域に指定され、出身地の上伊那に移り住みました 現在は、幸恵さんと二人で暮らしています。 福島の住まいは、現在も帰還困難地域に指定されています。 義則さんは「時が経つと心が癒えていく、傷が癒されていくのかなと思うんですが、時が経てば経つほど、今後どんな風に生きていくのかというのも含めて、癒されない、傷が時間とともにえぐられていくほうが大きい感じがしまして・・・。」 幸恵さんは、「3.11は、6年目の震災の日というのと同時に、自分にとって大切な人たちの命日にあたるので、きょうは本当に朝から『この日だったんだな』って思います。」と話していました。
中心市街地ではキャンドルナイト
伊那市の中心市街地では、追悼のキャンドルナイトが行われ、買い物客がみつろうキャンドルをつくっていました。 店内にいた人たちは、午後2時46分にサイレンが鳴らされると、手を合わせていました。 キャンドルは、午後5時から点灯され、袋に書かれたメッセージが浮かびあがりました。