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【特集 権兵衛開通】15万7千人の苦闘(3)

大量出水乗り越え貫通、伊那から風が吹いた

【特集 権兵衛開通】15万7千人の苦闘(3)

 水抜き坑着工から2年10カ月が経た03年1月。貫通まで残り数百メートルになった所で、再び中央アルプスから大量の水が噴き出した。
 被害が大きかったのは木曽側。木曽側坑口から約1キロは登り勾配だが、貫通地点までの残り約470メートルは下り勾配の工事だった。噴出した大量の泥水は、流れずに溜まり、切り羽を水没させた。
 「地質も大変だったが、水の量も並大抵のものではなかった」
 飯田国道事務所の石原幸宏建設監督官は振り返る。
 噴出する水の量は、伊那側が毎分3・6立方メートル。200リットル入りのドラム缶18本分だ。木曽側はその3倍以上の毎分11・6立法メートル。同じドラム缶58本分。
 通常、このような出水量の多いトンネル工事では「拝み勾配」といって、両方の坑口から登り勾配ばかりで掘り進み、一番高いところで双方が交わるのが最適といわれる。登りばかりで掘れば、出てくる水は自然に坑口に向かって流れていくからだ。
 しかし、権兵衛トンネルでは、双方の坑口の標高差と工期の関係からそうはいかず、木曽側工区では下り勾配の工事もあったのだった。これが貫通直前の切り羽の水没をもたらした。ポンプで汲み出して、現状に戻すまでに2ヵ月を要した。
 崩れやすい地質と大量の出水。4度にわたる切り羽の崩落。このため工事の進捗速度は伊那側で1日平均2・1メートル、木曽側では同じく1・2メートルだった。
 権兵衛トンネルの全長は4・5キロ。施工中のものを含めて、全国で23番目の長さだ。この長さのトンネルは通常3年間で貫通できるといわれ、それに5年間が費やされたことじたいに工事の難しさが示される。のべ15万7千人が汗を流し、300年前に木曽の農民権兵衛が切り拓いた峠道を、高規格道路に生まれ変らせたのだ。
 03年5月31日、水抜き坑が貫通した。最後に残された岩盤を取り除いた時、伊那谷から木曽谷に向けて、風がサーっと吹き抜けたという。(終わり)=毛賀沢明宏=

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