木工房KUSAKABEいよいよ始動
夢を追って伊那に来た日下部良也さん(34)=伊那市ますみヶ丘=
木を生かしたデザインを考えたい
「伊那は縁もゆかりも無かい土地だったんですが、木工をする場所として選んだんです」
伊那市ますみヶ丘。森に囲まれた工房で話した。無垢の木を中心に素材の良さを生かしたイスやテーブル、絵本棚・額・木工小物を造る。現在は、地元のある建設会社のモデルルームに納入する家具づくりに追われている。「やっと木工房の方が軌道に乗ってきた感じ。いよいよ本格始動です」と笑う。
01年4月、生まれ育った関西から伊那に移り住んだ。無垢の木で木工房を営むことが夢だった。だが、それまでは、木工とは無縁。伊那技術専門学校の木工コースを目指してきたが、「驚くほどの倍率」と「県内出身者優先の原則」の前に受講できなかった。大工について技術を学ぼうと訪ねた先で、建具屋を紹介された。ここで2年間修業した。
「でも奥さんもいましたから、自分の夢ばかり追いかけているわけにもいかない。それで、かけ持ちでバイトもやっていたんですよ」
昼は建具屋で修業。夜や休日は、食品加工会社で海産物のふりかけづくりに励んだ。大阪市梅田でうどんと地鶏料理の店の経営を手伝っていたこともあり、「思わぬところで過去の知識が生きたりして、幸運でした」と屈託なく話す。
もともと大学では電気工学を専攻。体調を崩し入退院を繰り返すうちに、なにか「手に職をつけなければ」と考え、デザインの道に転進。専門学校・大阪芸術大学大学院と工業製品のデザインを学んだ。
だが、量産される工業製品は自分が直接手を加えなくても出来上がってしまうことに疑問を感じ、デザインした人、造った人の個性が表現できる素材を探していたという。
転機になったのは大阪のデパートで開かれた木工家具の展示会。安曇野のある木工房が出品した作品に胸を打たれた。木はこんなにも造った人が表わせる素材なのか竏窒ニ。
「鉄とか固いものは無理だが、木だったら加工できるだろうと思ったんですが、そう甘いものではないとつくづくわかりました」
実際に木工を手がけてみると、素材としての木は、「自分のデザインを生かして行く場合に制約が多い」と言う。良い木目だと思ったが利用できる部分が少なかったり、削ったら反りが出たりとか……。「木は生き物。形を勝手に変えられない。そこに自分のデザインを生かしていく」ことが難しさでもあり、楽しさでもあるという。
奥さんと1歳の娘さんとの3人暮らし。夢を追いかけて伊那の地にたどり着いた青年の、新しい挑戦がいよいよ始まる。