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伊那谷が産んだコンデンサーの世界企業【II】 - 私の見た登内さん -

 伊那谷が生んだ世界企業ルビコンの創設者、登内英夫さんをクローズアップする特集の第2巻。ルビコンの会社概要と、旧知の人が語る登内さんの実像。

伊那谷が産んだコンデンサーの世界企業【II】 - 私の見た登内さん -

ルビコン株式会社■本社:長野県伊那市西箕輪1938竏・■設立:昭和27(1952)年■資本金3億9600万円■代表取締役社長:勝山修一■従業員550人■電話0265・72・7111(代)■http://www.rubycon.co.jp
 ルビコンはコンデンサの分野で世界トップクラスの技術を誇る。事業フィールドは(1)アルミ電解コンデンサの一貫製造、(2)次世代コンデンサ(社内呼称PMLコンデンサ)の開発・製造、(3)自社製アルミ電解コンデンサを使用した各種電子機器の開発・製造・販売、(4)コンデンサ製造のための自動省力化設備の開発(製造はルビコンエンジニアリングが行う)、(5)社内で使用するコンピューターシステムの自社開発の5つ。

「温情ある、親代わり」のような人

伊那谷が産んだコンデンサーの世界企業【II】 - 私の見た登内さん -

 私は、自他ともに認める登内会長の一の子分だろうね。最初の出会いは決して忘れられない。28歳で脱サラして、抵抗器製造を始めたが、2年後に製品の80%を納めていた商社が突然倒産し、不渡りが出た。困っていると、登内会長から「できることなら何でも助けてあげる」と電話。それ以前は県議選の手伝いをしたくらいで、ほとんど面識はなく、驚いたよ。その時言われたのは(1)人は誰でも1回死ぬが、棺おけに片足を入れてからでは救えない。これからは何でもすぐに相談しろ。(2)相手がどんな立派な会社でも自社の売上げの30%以上を1社に頼るな。(3)テレビとかラジオとか、部品を使ってもらう製品も種類をなるべく多くしろーの3つだった。
 それ以来「俺の若い頃に似ている」と言って子どものように可愛がっていただいた。本当に温情のある、実の親のような存在だ。

「几帳面な努力家」で人間の指導者

伊那谷が産んだコンデンサーの世界企業【II】 - 私の見た登内さん -

 30年以上も前、私どもの工場で火事を出しまして、その時、一面識もなかったのに、「あんた困るだろう」と言って、部長以下技術者を3人派遣してくれた。測定器も貸してくれたのですが、そのときには本当に感激しました。それ以来、お付き合いさせていただいています。
 今はもう、経営の指導者を超えて、人間の指導者ですね。良いものを造るにはきれいにしなくちゃいかんと言ってホコリ一つでもチェックする。それだけ真剣にものづくりを考えている。驚くほど几帳面ですよ。何をやらせても頂点を極める人だが、毎日、努力を積み重ねていますね。今だって、88歳だが、米国でも欧州でも自分で出かけていく。そのために、毎朝、自分で自分の体を調整している。
 技術だって、そうやって一つひとつ積み重ねてきた。それで大きな売上げを出し、地域振興にはとても大きな役割を果たしました。

彼こそ、「技術立県の功労者」だ

伊那谷が産んだコンデンサーの世界企業【II】 - 私の見た登内さん -

 私が、県の商工部長を務めていた1980年ころからお付き合いが始まった。県会議員には珍しく、ハッタリや外連味(けれんみ)のない人。いろいろなことを交渉したり、協力して行ったが、実現しても「自分の成果」だと威張ったり、票につなげる宣伝をしたりするようなことがまったくなかった人だ。
特に工業試験場や精密工業試験場などの県の研究機関の整備に熱心で、「予算付けが難しい」と私が言っても、一歩も引かなかった。県内の製造業の将来を見据えておられた。さすがに経営者だなぁと感心したものだ。技術立県の功労者。だが、その時も、その後も、そういう実績を一言もひけらかさないところが素晴らしい。
 県議を長く務めながら、企業経営をするのはなみなみならぬものだっただろう。努力して会社を興した企業家らしく、理詰めで話をする、誠実で信頼できる人だ。

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