岸本さん学徒動員工場を見学
戦時中、伊那高等女学校、今の伊那弥生ケ丘高校の生徒だった岸本多恵子さんは、74年ぶりに学徒動員された愛知県の旧三菱重工業名古屋航空機製作所などを7日に巡りました。
今回の訪問は、上伊那の小中学校の教員らでつくる上伊那歴史研究会が企画したもので、東京在住の岸本さんは、当時の様子を解説してもらおうと招かれました。
最初に訪れたのは、ゼロ戦などの戦闘機を作った三菱重工の工場です。
岸本さんは正門前にある時計台が当時の目印だったと話していました。
工場近くに建てられた殉職者慰霊碑です。
ここは、アメリカ軍の空襲で犠牲となった三菱重工の従業員や学徒などおよそ380人の名前が記されています。
伊那高女の生徒270人は昭和19年8月から昭和20年3月まで、ここで戦闘機を作っていました。
昭和20年3月13日の空襲で生徒の一人飯島米子さんが亡くなりました。
慰霊碑に収められているプレートの右から3番目に飯島さんの名前が記されています。
また、7日は昭和20年の正月に伊那高女の生徒たちが戦勝祈願に訪れた熱田神宮を参拝しました。
今回の訪問では他に、住宅に変わった寄宿舎の跡地などをバスから見学しました。