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駒ケ根市北割一区出身
昔昔亭(せきせきてい)健太郎=本名箭内(やない)広光さん(34)

駒ケ根市北割一区出身<br>昔昔亭(せきせきてい)健太郎=本名箭内(やない)広光さん(34)

 入門した春風亭柳昇師匠の死去に伴い、03年に昔昔亭桃太郎一門に移籍。寄席のほかテレビや映画にも出演するなど活躍中。現在二ツ目。真打ちを目指して修行の日々だ。
 「小学生の時に誕生日会の余興で友達と漫才やったことがあるくらいで、普段から人を笑わせることを意識している子どもじゃなかったですね。落語にも別に縁はなかった。人前でしゃべるのは好きだったし、目立ちたがりではあったけれど、お笑いの世界を目指していたわけじゃない。本当は物書きになりたかったんです。気がついてみればこうなっていた竏窒ニいう感じですね」
 大学卒業後、東京で放送作家になろうと2年間サラリーマンをしながら専門学校に通って勉強したが、志かなわず…。「ふと思いついたんですよ。落語だ! 自分で脚本を書いて、自分で演出して監督ができるじゃないか。これこそ求めていたものだ竏窒チてね」
 さて誰に入門したらよかろう竏窒ニ考え「古典一本槍じゃないし、何となく自分のスタイルに合っていると思った」ことから春風亭柳昇師匠に狙いを定め、新宿末広亭の楽屋口で待ち伏せた。現れた師匠の前に飛び出して「弟子入りさせてください」といきなり直談判に及んだところ「あ、そう。じゃあおいで」とあっさり言われて拍子抜けした。翌日、喜び勇んで師匠宅を訪ねたところ…。「あんた誰? ふーん、そんなこと言ったっけ」とけげんな顔をされた。「完全に忘れてるんですよ。まったく落語家ってのはあきれた人種だと思いましたね」
 ともあれ入門を許され、修行が始まったが、俗世間とは違う上下関係の厳しさや独特のしきたりに戸惑うことも多かった。「考えが古いというか封建的というか、世間離れした変な人が多いんですよ。何となく分かるでしょ?」
 翌年、初めて高座への出演を果たした。「浅草演芸ホールで『じゅげむ』をやりました。でも風邪ひいちゃってね、鼻水垂らしながらの話で、もう最悪の出来でした」
 4年後、二ツ目に昇進。だが生活は決して楽ではない。寄席の給金は1回たったの千円足らず。しかも出演は毎日あるわけではなく、せいぜい1週間に1回だ。「ほかの仕事だって月に3回程度。真打ちになれば少し楽になるとは思うけど、昇進するには入門から15年くらいかかるから、まだあと数年ある。この世界って実力というよりけっこう年功序列なんですよ。でもやめたいと思ったことはない」
 今は主に古典を話しているが、自身で考えた新作をこつこつと書きためている。「これだ竏窒ニいう自信作はまだ書けていない。でもいつかはね、人生の悲しみを楽しみに変えるような話を書きたい。昔サラリーマンだったころ立ち寄った寄席で自分が落語に癒されたように、聞く人の心の洗濯になるような…。普通に働く普通の人たちのささやかな楽しみになるような温かい話をね」
 (白鳥文男)

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